疲労困憊の日々の中で己の好きな物を忘れかけていた白島は、「男装のケヒャリスト」なるものの概念をX(旧Twitter)で知る。
世の中には、こんなにもくだらなく愉快なことを考える人たちが、わりとたくさんいるのだと、魂が救われる思いだった。
こんな愉快なことを呟いているのはどのような人たちなのだろうかと探っていたところ、どうやらカクヨムなるサイトで自作小説を公開している人々の一派がそこに関わっているようだと情報を掴んだ。
バッファローの群れ、ポケカ大谷、世の中にはまだまだ白島の知らぬ愉快な物語が溢れているらしい。
少しだけ、漠然とした希死念慮が薄まった。
しかし、現実世界の日常生活というものは、手を変え品を変え白島の精神にじわりじわりとダメージを蓄積させる。どうしてこうも上手く生きられないのかと、苦しくて眠れない夜ばかりである。
そんな中、一冊の漫画の広告が目に留まる。『これ描いて死ね』だ。先日のケヒャリストの一件でギリギリ漫画を読む活力を取り戻した白島は、「死ぬ前にこれ読もう」とすぐにその漫画を購入•ダウンロードし、電子書籍のページを捲った。漫画研究部で漫画を描く女子高生たちの物語である。
かつて自らも漫画研究部でこの上なく楽しくヘタクソな漫画を描いていた白島には、非常に刺さる物語であった。面白かった。
そして、数日後、『あくたの死に際』という漫画の広告に出会う。こちらもすぐに購入・ダウンロードした。鬱で会社を辞め小説家を目指す男の物語である。
鬱病のチェックリスト、果ては診断基準までを眺め、「満たしていないか?」と思いつつ目を逸らし日々出勤を続ける白島には、非常に刺さる物語であった。面白かった。
白島も、何かを書きたいと思った。これ書いて死のう、と思えるような、何かを。
結局、大したものは書けず、白島は死んでない。
だが、投稿した小説に、応援のハートが付いた。こんなどこぞの馬の骨とも知れぬ者の小説を読む人間がいるのかと、非常に驚いた。
ありがとうございます。おかげさまで、今日もなんとか死んでいない。
あと結局「なんか痛そうだし怖いし死んだら死んだで面倒臭いなあ」という感情もあり、多分今日も死んでいない。