今日で東日本大震災から8年が過ぎようとしている。私も1人の沿岸の住人として、あの日のことは忘れないし、津波後の市街地の惨状は今でも鮮明に覚えている。ヘドロでおおわれた市街地、物資を運ぶ自衛隊の方々、影から姿をちらつかせる動かぬ人の姿...。
そんなことがあったのにも関わらず、その記憶は風化しようとしている。私の街では今日、避難訓練が計画されていたが、悪天候が予想された為中止となった。安全面を考慮すると仕方の無いことだとは思うが、災害は安全など考慮して待ってはくれない。
南海トラフ地震が危険視されているなかで震災での反省がどう活かされるのか、それはその時にならなければわからない。近年各地で大きな地震や洪水災害が多発しているため既に誰もが気づいているだろうが、悲劇はその場のものにだけが理解できる。本当に悲惨な所にはテレビ等のマスメディアは侵入できないし、もしできたとしてもそこにはテレビでは映せないものしかない。そんな表面上のものしか私達は見ることが出来ないのだ。
私達にはこれからを生きるものとして、震災を経験したものとしての責任がある。これを見てくれている方のなかにも同じ責任を持つものきっといることだろう。その責任をしっかりと果たすことこそが我々が生きることができた意味であるように私は思う。
震災を経験していない人でも、人生のなかでたくさんの経験は積んでいる。その経験をどう反省し、どう次回、次世代に活かしていくかはあなた次第。決してマスメディアに頼ってはいけない。マスメディアを通じて知ることができるのは、その場の人からすれば微生物程度のほんの些細なことだけなのだから。