表題通りの感想をいただく。
事件屋S村のことである。
小説家の名前もブランドなんでブランドをぶっ壊すようなものを書いたりするとだいたいそういう話がでる。
特筆すべきはそういう指摘はほぼ全部が真面目に心配してるという事実である。
これが冷やかしやからかいだと無視するのだが善意だと無視するのも厳しい。しかしたいていの作家は書けるから書いたくらいしか考えてないのでまともな応答は不可能である。
そこでたいていの作家はそういう(指摘に答えるのが面倒くさくて)のを嫌がって筆名を変える。
そうでなくても発表媒体を変える。事件屋S村は後者でカクヨムだからできる脱線である。昔なら死後に発見される未発表原稿とかになっていただろう。ビバIT技術である。
小説家はなぜ小説を書くのか。この問いに明快な答えはない。しかし答えのなさこそが、この営みの本質を言い当てている。
多くの書き手にとって、執筆は「書きたいから書く」または「書けそうだから書く」という単純な衝動に発する。どちらにせよ頭の中で人物やシーンがふと像を結び、それを外に出さない限り、いつまでも胸につかえたままになる。だから書く。書いたら憑き物が落ちて仕事に戻る。
そう、憑いているのだ。作家は特に憑かれやすい体質と言えなくもない。