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  • ミステリー

形而上の果てにあるやんわりとした「何か」を読み取ることに価値がある

元来、「美しい」というのは形として存在しておらず、やんわりとしていて、どうにもぼんやりと形にならない。例えば、美しい景色を見たとしよう。「景色」は大方誰にだって共有できるものだと私は考える(色覚に障碍があればまた別だろうが)。然し、それが「美しい」かどうかについては全く共有できない。

他人が思う景色の美しさと私自身が心のうちに持つ美しさとは乖離しているのではないかとすら思う。

「美しい」というのは、得られた情報を一度咀嚼した後に残るものなんだと私は思うのだ。食べ物を食べる、それの味覚として得られる情報は大方同じだろう。然し、それが「甘い」だろうが「苦い」だろうが、それが「美味」かどうかは全く別の話なのだ。

長くなったが、私としては「芸術」とはそう言うものであると考えている。「芸術」というのは作者が考えるもの、研究テーマなり哲学的思想なりを絵や文章に形作り、表現する高尚な言い方をするなら「論文」のようなものだと思うのだ。その「芸術」というものをただの「作品または娯楽」と見るか、「論文」と見るかで印象は大分変わるだろう。

どうだろう?私は芸術を、特に純文学をそういうものと思っているのだが、みんなはどう定義しているのだろうか?

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