その前に、拙作「幸せの、唐辛子ひと掛け」をお読みいただき、ありがとうございます。
https://kakuyomu.jp/works/16816700428474478142/episodes/16816700428474515720ランキングが 443 位から 107 位になっているとの通知がありました。
現代ドラマって書く人いないのかな。
PV 50も無いんだけど、ということは、最近入れて頂いた☆のおかげですね。
ほんの一人、二人の評価で 300 も順位が変わるほど、現代ドラマは横並びってことなんでしょう。
ここから上はまた別の話なんでしょうけど。
ともあれ、おかげさまです。ありがとうございます。
で、今日の本題なんだけど。
ちょっと重めの話なんで、軽く読みたい方は、ブラウザバック プリーズ。
いいですか。
書くのもどうしようかと思ったけれども、先を越されそうなので書いておく。
「真実はいつもひとつか」
某ドラマの原作に、「真実は人の数だけある」というセリフがあるのですが、私も同意見です。
『真実と正義は人の数だけある』
某本当は高校生の小学生の決め台詞を最初に聞いた時からかその前からか、この言葉は私の中にありました。
あの決め台詞の元は、連載開始が1994年、アニメが1996年。私があのマンガを知ったのは、多分アニメになった頃ですね。第1回のアニメをリアルで見ているから。
対して、このドラマの原作を最初に読んだのは、昨年2021年後半。ひとに勧められていたけれど読んでいなくて、ネットの広告に流れてきた無料で読める、を機に読んでみたものです。(面白かったので、集めてみようと思います。好みvv)
1900年代終盤から2000年初頭(1980,90年以降、と言った方が早いか)正義や真実を振りかざす人が多かった。
外国で戦争もありました。(さすがに第二次世界大戦の頃は生まれてません)
私は、正義や真実を振りかざす人が嫌いです。
某宗教も嫌いです。平和だの慈愛だの言いながら、世界史で学ぶ戦争の多くはこれが原因だから。平気で侵略戦争起こすしね。
逸れましたが、正義も真実も、主観です。だから、人の数だけあるのです。
客観では決してない。
あるのは、「何が起きたか」「誰がやったか」「そこに何があるか」などの、事実だけ。事実と真実をごっちゃにしてる人が多い。
それも、実は誰かの夢の中だった、とかだともう太刀打ちできないんだけど。
今ここに私がいて、キーボードを叩いているのは、事実。
まあ、そういう私の思想信条は置いておいて。
私はそういう考え方をベースに持っているので、キャラがそういう事を口にしたとしても、このマンガ、ドラマをパクったものではないのだという、それだけの話。
読んだ時には驚いた。今までこれを言う人に会ったことがないから。
私が『真実と正義は人の数だけある』を昔から使っている証拠は、あります。
2017年末に作った、マンガのプロット。
真実主義の探偵と、事実主義の青年の話でした。
描かなくてよかったのか、あの時描いときゃ良かったのか。
某マンガのネーム講座の授業の中で作ったので、送信履歴がまだあったら、それが証拠です。
(追記:画像あったけど、教材なんでアップできませぬ。自分の部分だけカットして出すか?)
まあ、私の考えなので、違う人がいてもいいと思います。
攻撃する気はありません。むしろ、違う人がいた方が健全だと思います。
まあ、正義真実を振りかざしたがる人は、違う人が許せないみたいですけどね。
攻撃されても応戦はしませんよ。
そういうわけで、ドラマになっちゃって使いにくくなっちゃったなぁ、どうしよ。
というお話でした。
お付き合いありがとうございました。