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文学があるということ

 熊本地震の二日後、私は福岡のカフェにいた。毎月詩の朗読をやっているイベントだ。そこでカレーを食べ、詩を詠んだ。避難ついでに朗読した人は、相当珍しいだろう。
 数か月後、私は東京にいた。詩の同人即売会である。今年もそういうものに参加できる、という実感を得たかったのだ。

 震災に遭う以前から、天災に見舞われた時、むやみにそのことを詩に書くのはやめようと考えていた。どうしても表現がとがってしまい、読む人を戸惑わせることが多いと思ったのだ。日記でもない、随筆でもない、詩を。じっくりと作ってこそ、多くの人に伝わるのではないか。そう思って書いた詩は、初めて「詩と思想新人賞」で入賞した。
 それが正しいのかはわからない。ただ、「文学と向き合う心の余裕」があるのはよかったと思う。

 文学があること、文学に触れること、文学を作れることは救いになった。私の、場合。
 

2件のコメント

  • 今回の能登半島震災で、いろいろ考えさせられました。
    私も熊本地震で震度七を経験した身です。
    これからしばらくの間、生活全般で大変な日々の連続となります。
    温かい目で見守り、自分たちの出来る範囲で応援出来ればと思っています。
    そして、文学に携わる端くれとして、「文学」の力を信じて邁進したいものです。
  • そうですね。救われることも悩むことも、いろいろあって力になるものだと思います。
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