身内の定期受診時の待ち時間の暇つぶしシリーズ、次に選んだのは「香君」。
上橋菜穂子作の作品は、買っておいて読まない(というよりも、かなり気力と頭を使うので余力がないと読めない)状態だったので、ここぞとばかりに読むことにした。
もちろん上下巻構成を読破できるほど、さすがに待ち時間は長くない。何かしらの大掛かりな検査で1日潰れるならともかく、そうではない受診だったので上巻の第1章を読み終えるくらいだった。
ので、読み始めてからは、自宅で時間を見つけては読書に勤しんだ。
相変わらずの上橋節が組み込まれた世界観と流れだったが、なによりも心に引っ掻き傷を作ったのは、作中に出てくる「オアレ稲」があまりにも食料としてできすぎた作物であり、政治での支配の道具として見事なものだったことだ。
読んだことにない人に「オアレ稲」の説明をすると、痩せた土地でも育ち、水田でも陸稲(おかぼ)でも場所をほぼ選ばずに育つ。年に何度でも収穫でき(作中では栽培に適した地として三毛作している土地もでてきた)、病害虫に強く、連作障害も起きない、味もよい。
主食として、飢饉対策として、できすぎた作物だ。
ただし、収穫した「オアレ稲」からは種籾はとれない。
収穫した籾から芽は出ず、ウマール帝国に納めた税に応じて種籾が渡される。
そしてこの稲が育った土地は、他の穀物が育たなくなる。
食料という根幹を支配するには、都合の良すぎる作物だった。
それでも帝国の外にあった多くの王国は、飢饉を恐れなくなるとして、自ら支配下に入り帝国辺境の藩王国となった。
主人公アイシャの祖父は、その辺境「西カンタル」のかつての王であり、帝国内に吸収されても「オアレ稲」の作付けを拒否し、やがて起きた飢饉により民から王位を追われた人だった。しかし、飢餓によって失われていく民への罪の意識もあったのか、他の王族が逃亡し身を潜める道を選んだ際にも、贖罪として藩都に残り自裁を選んだと書かれている。
帝国の支配の鎖に自ら掛かりに行った愚かな民、支配構造を見抜いた慧眼の王、とは書かれていない。
読んだ私も、そうは思いたくない。
王の息子であり、主人公の父は王を諌められなかったこと、「オアレ稲」を受け入れなかったことで今目の前で失われつつある民の命を救えなかったことへの罪、主人公とその弟を妊娠していた妻を生かすために逃亡した罪を背負い、生涯「オアレ稲」を口にはしなかった。
誰も彼もが、飢餓への、失われていく命を救えなかったのを罪だと思っていたのだ。
上巻ではひたすらにこの作物が、やがてもたらす大災害の予兆と、その大災害をいかにして回避するかの話に終始する。その中で、帝国皇帝と活神「香君」、帝国の内政に関与する新カシュガ家と、活神「香君」に仕える旧カシュガ家の存在が明らかとなる。
帝国神話には「オアレ稲」を持ち込んだ活神(いきがみ)として「香君」が登場する。香りで森羅万象を察知した女性だが、初代香君は子をなさずに亡くなり、帝国は香君とともに国を築いた皇帝の一族が支配することになる。しかし作中で皇位は移り、新しい皇帝の基盤は盤石ではない。
活神「香君」もまた、初代の生まれ変わりを探すという名目で行われる儀式で13歳の少女が政治的に選ばれ、信仰の象徴としてその生涯を終える。
私は「オアレ稲」とこの国の体制を知ったとき、逆に暴発せずによくもまぁここまで成り立ったと、恐れを覚えた。
下巻でいよいよ大災害の予兆が帝国の「オアレ稲」による支配を揺るがし始め、そして大災害が発生する。この災害で帝国と藩王国の関係をあらわにする。藩王国を見捨てれば、近隣の国へ寝返り帝国は危機に陥る。かと言って、藩王国を助ければ莫大な財が必要になり、帝国の弱体化は免れない。
政治的なものだけをピックアップしたが、なんとも……たった一つの作物による支配と依存の規模が大きい。
ただ、食料というのは本来それだけの重さがあるものだったのを、この飽食と言われた時代が忘れさせたのだろう。ただ、やはり時代の変化で飽食に翳りが生まれているのもあり、だからこそここまで染み入る物語だと感じるのかもしれない。
ここまでの話の中で主人公アイシャの行動は、あえて書いていない。
逆に彼女がこの壮大で複雑な世界の中、どのように行動し、どのように彼女しか持たない力で大災害と対峙するかが物語「香君」の要であるので、それは書くべきではないと思った。
為政者としての憂いと帝国という社会の道理、自然界の中の道理と民としての希望の対比は、主人公アイシャが追われることとなったかつての飢饉に重なる部分が多い。
ただ、私の感想として、物語の最後のアイシャが、これまで読んできた上橋菜穂子作品の中でも、少し変わった道を進んだように思えた。
彼女らしさといえばらしいのだが、その道で、これまで読んだ作品の主人公たちが得ていた繋がりは、彼女にはなかったように思える。作者の中ではあるのかもしれないが、ただ作中では明言されていなかった。
彼女なりの事情はあるが、あえてその事情にも否定的な説明がされている。
その彼女の最後の光景が、私の中で、少しだけ息をしやすい描写にも思えた。