いつもぼくの面倒くさい文章を読んでくださって、本当にありがとうございます。
まずはここ最近の地震に遭われた方々に、心からお見舞い申し上げます。亡くなられた方々に、謹んで哀悼の意を表します。
ぼくも札幌で震度6弱を体験していますが、しばらくのあいだは、地震は起こっていないのに揺れてる気がしたり、ちょっと木製の何かがきしんだ音を立てたりするだけでドキッとしたりします。
生きていくというゴールを設定されているのであれば、どうか、よけいな思考が立ち上がらなくなるまで、踏ん張って過ごされますように。忘れることはできないようですが、記憶は薄まっていきます。それまでの辛抱だと思います。
さて私事ですが、八月八日(木)に更新させていただいたエッセイで、「『生きる』が分かったから」、なんとか百話に到達いたしました。
毎回毎回、同じ言葉ばかりで申し訳ないのですが、あらためまして。
本当に読んでくださる皆さまのおかげで、こんな読むのも書くのも大変な文章を百本も、進めることができました。ありがとうございました。
本当は八〇話で終わる予定でいたんですけど、トイレに入ってるとき、お風呂で瞑想状態のとき、次から次へと「あ、これも書かなきゃ」ということが繰り返された結果、ここまで続くことになりました。
誰かに、ぼくが見つけた真理を伝えたい、その中で使えるところを使っていただいて、読んでくださる方々の人生がすこしでもより良くなれば、という思いで始めたことですから、誰も読まないという状況になれば、すぐにでも引き上げようと思っていました。
しかし、ぼくが思っていたよりもPV数があり・・・いや、それはライトノベル的なものを書かれている方と比べたら、スズメどころかアリの涙ぐらいですが、ひとりでも読んでくださる方がいる以上は書き続けようと思っています。ですので、今もまだ書いています。
基本的には「すべてはひとつである」という、揺るぎない原則中の原則をわかりやすくしたくて、多角的な視点で解体しているだけです。
「すべてはひとつである」という真理が、「この世界」における究極の答えのようだと、ぼく個人は、今のところ、考えています。
九九本の文章が、第三〇章「すべてはひとつである」と同義です。これが本当の意味でわかったとき、他の九九本のお話は不必要になります。「あぁ全部、このことを言ってるんだ」と理解されるでしょう。
これまでの百本、読んでいただきまして、本当にありがとうございました。
そしてこれからもよろしくお願いいたします。
誰にとっても、今日が素晴らしい一日になりますように。