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投稿のお知らせ+小話【観音寺騒動】

先ほど『東海の覇者、桶狭間で没落なれど』
105話【松平家独立の覚悟】を投稿いたしました。

さて今回の小話は、何話か前に起きた観音寺騒動についてです。

【観音寺騒動】
1563年、近江六角家の居城観音寺城にて御家騒動が起こりました。
すでに家督を譲られていた六角義治は、重臣であった後藤賢豊とその子壱岐守を家臣に命じて殺害してしまいます。
理由は色々言われていますが、有名なところだと父義賢(承禎)との確執だと言われています。
あとは義賢の代より重臣だった後藤賢豊と、観音寺騒動寺にはすでに病没されていたという進藤貞治は「六角の両藤」と称されていたほどの宿老で、様々な権限が与えられていたと言われています。それを義治が嫌がったからとも。

結果として家中は大混乱しました。浅井が六角領に攻め込む動きを見せれば、浅井に寝返るものが出、挙げ句の果てには一部の家臣らによって観音寺城を父もろとも追い出されてしまいます。
その後、重臣である蒲生家の守る日野城へと入り蒲生定秀や三雲定持の助力もあり観音寺城へと復帰しました。ただしその条件として六角当主の権限を大幅に削られることを承認し、さらには家督を弟である義定に譲ることが決定されてしまいます。

そして織田信長の上洛に際して観音寺城を攻められており、六角の大名としての時代は終わりを迎えます。


この物語では後藤親子と一緒に史実では六角義治親子を観音寺城から追い出した1人である重臣平井定武も殺害されております。しかし浅井や織田が南近江へ動いて見せたことでどうにか義治が当主としてやっていけているという状況です。
さて六角家はどうなるのか?浅井は近江を統一することが出来るのか?

ではまた明日この時間にお会いいたしましょう。

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