• に登録
  • 現代ドラマ

「コミュ障」という現代病に関する一考察PART1

巷で話題のコミュニケーション障害、通称「コミュ障」について、私なりに考えをまとめてみたいなのです。

ツイッターであれ現実世界であれ、「コミュ障」という単語が頻繁に飛び交っているように思うなのです。多くの人が特に深い考えもなしに「俺はコミュ障だから」「私ってコミュ障なのよね」と口に出しているような気がするなのです。

かく言う私も、自分のことを所謂「コミュ障」なのではないかと、疑う気持ちがあるのです。誰とでも仲良くできるクラスの人気者でも、自分とはなんだか波長が合わなかったり。人といると気まずい思いをすることが多かったり。基本的に陽気なあの人も、自分といるときは気まずそうにスマホをいじってたり。

だけどその反面、「コミュ障」という言葉が含む意味の範囲の広さも、自分は疑っているのです。

つまりかみ砕いて説明すると、「少し会話が弾まなかったくらいで、自分のに対して「コミュ障」のレッテルを貼るのはいかがなものか」ということです。「コミュ障」という言葉を、タイムセールの時にに張られる割引シールみたいに、やっためたらに乱用するのは卑屈だと思うなのです。

「私ってコミュ障なの」と言うってことは、部分的には次の分のような意味を含んでいると思うなのです。

「私ってさみしがりやで、人と一緒にいないと猛烈な疎外感に襲われて辛くなる性格なの。だけどかと言って、人と話すのが好きなわけでもないの。会話を盛り上げようとも思わないの。だからそこんところ踏まえたうえで、私に優しくしてね♡」

言ってしまえば、自分で自分のハードルを下げているなのです。自分って「コミュ障」だし、あんまり厳しいこと言わないでね。みたいな感じなのです。会話があまり盛り上がらなかった時のために保険をかけているのです。

これはなんていうか、ずるい気もするなのです。だから私は、自分のことを「コミュ障」だなんて決めつけたりするような人にはなりたくないのです。

あとほかに書きたいこともあったけど、疲れたんで一旦止めにするなのです。続きはいつの日か書くなのです。

コメント

コメントの投稿にはユーザー登録(無料)が必要です。もしくは、ログイン
投稿する