• 異世界ファンタジー
  • 現代ドラマ

最果ての冒険者ギルドの調査官 朝露とシルフィウム ②

「複数の冒険者が、依頼を受けたその日にシルフィウムを持ち帰ってるらしいですよ」
 おれがサーシャからその報告を受けたのは先週。ちょうどバビリウス遺跡での調査依頼における報告書を書き終えたときだった。既に時刻は夜警時を回っていたが、例の件もあってか、課長をはじめ事務所にはまだ半分以上の職員が残っていた。
「なにかの間違いじゃないか? 依頼を出した日付がずれてたとか、冒険者たちが依頼を受ける前に予め採取しておいたのを納品したとか、そういう類の」
 おれはようやく完成した報告書に息を吹きかけインクを念入りに乾かすと、サーシャに手渡しながら言った。
「それは、考えにくいです」
「どうして?」
「シルフィウムの効能は摘み取ってから1日程度しか続きません。その上、自生地は街からかなり距離があります。週に1度あるかないかの採取依頼の日時を予測して、事前に摘み取っておくというのは、効率的とは言えません」
「だったらやっぱり、おれたちギルド側が、依頼を掲示した日付を勘違いしてただけじゃないか?」
「それはもっと考えにくいです」
 サーシャは言った。
「日付はちゃんと覚えてます。私にとって、特別な日でしたから」
「そうか」
 おれはそれが何の日だったのか、今更尋ねるつもりはなかったし、彼女が少し不機嫌そうに語気を強めた理由を問いただすほど、無神経な男になったつもりもなかった。ただ、おれたちの関係性は、今年に入ってから非常に難しい局面に差し掛かっているということだけは事実のようだ。
 サーシャはおれの報告書をめくり、丁寧に目を通していた。長いまつげが揺れ、ねっとりとした沈黙が二人の間を流れる。おれは気まずさを振り払うように口を開いた。
「シルフィウムの自生地は、オウル山の山頂付近だっけ?」
「はい、そうです」
「無理かな?」
「と、申しますと?」
 サーシャは顔を上げた。髪色と同じ、澄んだ亜麻色の瞳がおれを捉えた。
「急げば当日中に往復できないかと思って」
「よほど熟練した登山家ならあるいは……でも、実践するのは難しいかと」
「それは本人の資質の問題として?」
「ええ、朝一番に依頼を受けて、早馬で麓まで駆けたとしても、山頂に着くのは日暮れ前になります。帰路にかかる時間、途中の休息時間を考えると、当該冒険者に、それが出来るとは到底思えません」
 サーシャの言うことはもっともだった。帝国の版図内とはいえ、ここはまだまだ多くの未開が残る東世界だ。間に合う間に会わない以前に、こんな面白味のない採集依頼を受ける冒険者に、夜の山道を休みなく歩いて帰る気概があるとは思えなかった。
「そういえば、シルフィウムの採取依頼の報酬額っていくらだっけ?」
 おれはふと疑問に思い尋ねた。サーシャは「ちょっと待ってください」と述べ、自分の席に置いてあった一冊の帳簿を取り、おれの机の上に広げた。
「状況にもよりますが、平均して20セステルほどですね」
 帳簿の文字を指しながら、おれに説明するサーシャ。屈んだ彼女が垂れた髪を嫌って耳にかけると、細くて白いうなじが露わになり、おれは思わずドキリとしてしまった。
「ギルドとしては山頂で一泊し、夜明けと共にシルフィウムを採取した後、速やかに街へ帰るという道程を想定していますので、その労力と時間的拘束を考慮してか、同ランク帯の採取依頼の中では、かなり高額の報酬になってます」
「ふむ……」
 おれは唇を噛んだ。ギルド側の記録ミスでもない、当該冒険者が根性を見せたわけでもないとすれば、他にどのような方法が考えられるだろう。
 ギルドが把握していない、新たなシルフィウムの自生地を、冒険者たちが街の近辺で発見した?
 それとも軒先かどこかで、独自にシルフィウムの栽培に成功した?
 どちらにせよ、それがギルドの想定によらず、当日中に達成することが可能な依頼になったのだとしたら、当然、冒険者たちに支払う報酬の額も見直されるべきだろう。
「一応、課長にも報告しておくか」
「え? いいんですか?」
 おれの反応が予想外のものだったのか、サーシャが目を丸くした。
「何か問題でも?」
「あ、いえ、ディルックさんがそれでいいならいいんです」
 しかし、このときのおれは、連日続いた残務処理をようやく終えたという達成感、それに馬鹿な冒険者どもの熱気に当てられ続けたせいもあってか、人が人として生きていくため、最も重要なことを忘れていたのだ。
 それは、冒険者に与える依頼の内容と報酬が適切かどうかを調査するのは、この冒険者ギルド所属の調査官であるおれの仕事だということ。そして、仕事というのは少なければ少ないほど、人生を美しく彩るということだ。
「あ、誤字、見つけました」
 サーシャが報告書の一枚をひょいっとつまみ上げ、おれの人生に暗い色を落とした。
 そして、その三日後には、課長もおれの人生に翳りをもたらすことになるのだが――
 その理由は、歩きながら話すとしよう。

コメント

コメントの投稿にはユーザー登録(無料)が必要です。もしくは、ログイン
投稿する