第232話:【忍城・2】基本は整理整頓だ!
1559年4月下旬
忍城北西半里東雲旅団司令部
東雲尚政
2015年10月24日:冬木化学研究所デジタルアーカイブ
「大胡戦争末期。未だ判明されていない化学的な発明がある。それはいかにして硝酸の合成し雷管と無煙火薬を作ったのか。これが未だに謎である。たった一つ残っている文献では1560年に既に少量ではあるが生産を開始していたという。
その合成に必要な多量のアンモニアをどのように生成していたかは不明のままである。この当時、後に政賢公に驚異の天才と言わしめた平賀源四郎はまだ15歳であり、讃岐の国から大胡へ来てからまだ2年でしかなかった。
その2年の間で何が起きたのまでは想像するしかないのであろう。科学者に取ってもロマンを刺激させる時代であったのは確かである」
1559年4月下旬
忍城北西半里東雲旅団司令部
東雲尚政
「忍城から通信。敵南方攻囲兵、東方へ移動中。攻囲が解除されつつあり」
来たか。
決戦する気になったか。河越城の危険が去ったのはいいが、こっちに来られて蹴散らされても困る。いい塩梅と言うのは難しいな。
この肴の梅干しも塩辛いはずだが、干し柿が入っているお蔭でいい塩梅の味となっている。
この司令部は民家を借り切って土間に作戦司令部を作った。床几に腰かけて目の前の2尺3尺の広さの折り畳み式で手で持てる軽さのものを3つ繋げた地図置き場に目をやる。
周りの参謀役の司令部付き士官や候補生がのぞき込んでいる。たまに俺が置いたガラス製の猪口がひっくり返らないか心配そうに見ている奴がいる。今度それ用の机も必要か? 無駄な荷物は嫌だが今度何とか考えよう。清潔は大事だ。
「旅団長。やはり上杉勢は第4大隊を狙いますね。この地形じゃそこしかない。まあそれを狙っての布陣ですが」
参謀長役の第1大隊長、吾妻幸信が確認をする。北を東西に流れる利根川はまずは渡が不可能。南で忍城を囲むように屈曲している荒川は多くの支流に分かれており、渡河は出来るが渡河地点が限られている。
この渡河地点は地元である故、忍城で成田氏の軽格足軽であったものが地図に書き加えており大胡は機動がしやすい。
「ここは騎馬を降りての戦になる。第4大隊の長銃身装備とこの矢盾が役に立つ。後は‥‥」
俺はこの目の前にある机として使用中の矢盾を小突いた。
乱獲で自生する藤が少なくなり栽培を始めたばかりの藤蔓で編んだ軽量の盾だ。片手で持つことも無理すれば可能。それに第4大隊に限らず多くの兵は左肩に|素懸威《すがけおどし》よりも強度がある藤蔓袖を付けた。
殿は両袖に付けようと言ったが、これ以上重くなると機動に差しさわりがある。手筒を4丁も携行するのだ。それに付随する火薬合入れなども右腰につけている。達も左腰だ。平衡がとれぬ。
そう言うと「やっぱり雷管が必要かぁ。ピクリン酸作るのに、やっと硫酸が出来るようになったからもうちょっとかな」と仰ってくれた。
雷管とは錫箔に入れた発火薬の事だ。これは革命的なものだ。雨でも打てるし、使いようによっては連射できる銃も作れるようになる! だが結局は硝石の問題に行き着くという。
この硝石。もっと大量に作れないか研究しているが、流石の殿もお手上げだという。空気のなかにある窒素を取り出せれば硝石ばかりでなく肥料もできるという。
しかし空気を何百倍にも圧縮しないといけないとか。
前に冬木の奴と飲んだ時は泣きつかれた。「何かいい方法はないか????」と。彼奴は酒が入ると泣き上戸になるからな。閉口した。
どうして酒を静かに飲めんのだ。後藤のおっさんは槍振り回して今様踊り出すし、殿はその周りをひゅるひゅる独楽のように移動して皆に取り押さえられる。危ないったらない。
取り敢えず、西国から道楽者をかっさらって来たので、その内何とか開発するだろうが、まだ計算や研究方式やらを教わっている所だという。気長に待つしかなかろう。
「とにかく、先の作戦甲1号で行く。駄目なら発煙火矢を撃つ。臨機応変が竜騎兵のモットーだ」
俺は席を蹴った。
ガッシャン!!
……やはり床几はきちんと立てかけるべきだった。整理整頓は大事。
「干し柿入りの梅干し、食べてみたい(干し柿は凄い糖度です)」
「几帳面かっ!」
「ハーバーボッシュ法やっちゃう??」
地図はもうちょっと待ってください。
今描きます。