ってあると思うんです。
スピリチュアルな話ではないですよ。
カクヨム始めて半年程経ちました。で、色々な作品を読んでみて、目を通すだけで言うなら2、300作位は見たと思います。
その中で良作だ!と思う作品って、明らかに他の作品とは違うオーラを放っているんですよね。
匂い立つと言うのか何なのか、それこそ書き始め3行で意識を持って行かれてしまう。
ぴんと肌が張り詰める感覚になるんです。(集中状態に入るんだと思う)
後半から面白くなるからっていう意見を言う方もいますが、そういう事ではなくて。
確かに程々に面白い作品は、そういうのもあるんですが。
それこそ読書しようっていうやる気って日によってまちまちなので、ぼけーっとした頭で読み始める事もあるんですよ。
そういう時に傑作に出会うと、唐突に頭を鷲掴んで文字を追わせられる感覚がする。
続きを読まずにいられない、みたいな。
夜眠る時にも、早く続きが読みたくて朝が来るのが待ち遠しくなります。
カクヨム始めて、学生時代ぶりに読書をするというのが日常に組み込まれていきました。
すると、そういうヨムセンサーが前より研ぎ澄まされていってる気がします。良作を見分けるセンサー。
仕事との両立で、時間が限られているからこそ身に付いたのかも?
好みの作品ばかり探しているから、かなり偏ったセンサーではありますが。
このセンサー、読めば読む程性能が厳しくなっていく気がします。
そう考えると、良作をたくさん読んでいる読者からは、やはりなかなか良い評価は貰い辛くなりますよね。
そしてそう言った方達から何かしらの意見を貰えるのは、本当に貴重だと思います。
少なくとも、伸び代を感じて貰えているのですから。
無意味で辛辣なだけのコメントは無視して良いと思いますが、反対意見や批評はとても貴重な物ですよね。
賛同意見よりも貰える事が少ないですから。
批評の自主企画って参加するのにちょっと勇気がいるのですが、とても良い企画だなぁと思います。
少なくとも企画主は読書量に自信があるからこそ立てられるのだと思うのです。(やってみたくとも、私は自信がないので立てません)
批評された際に逆ギレする人もいるそうですね。お前はそれが出来てるのか!?って。
そういう意見は全くもって意味のない議論だと思います。
読む能力と書く能力は全然違います。
小説って、英語の勉強に似ている気がします。
readingとwritingとspeaking。
ヨムとカクと人生経験。
どれもそれぞれに磨かないと、上達しない。
読み解けても書けない人がいるし、面白い話は書けても難しい文学書を読めない人がいるし、綺麗な文章でも中身のない物語しか書けない人がいる。
エッセイは書けても物語が書けないって人もいますね。
あれは読む際にも、全く脳の使い方が違いますよね。
知識を追うだけのエッセイは、脳の一部で平面的な話を聞いているだけなので、私はよく音楽聴きながら読みます。
逆に物語は、脳のあらゆる部分を使って空間や世界を立体的にイメージして読むので、音楽聴きながらや雑音が多いと私は読めません。
カクヨムで創作論やエッセイばかりPVが上がりやすいのはそういう事かなと思います。
何か言いたい事をだらだら書いてたらとっちからってしまいました。
何が言いたいかと言うと、ヨムセンサーばかり鍛えてないで、カク方ももっと日常的にやらんとなーって事です(´-ω-`)
傑作を書ける方は、ホント凄いですわ…。