Side:銀次
静かな朝だ。いつもは聞こえてくる長屋の賑わいも町の喧騒も聞こえてこない。
「正月か……」
オレには縁がないもののひとつだ。共に祝う奴もいねえし、神仏なんてのは信じねえことにしている。
無論、人様の生き方に口を出す気はねえ。ただ、家で大人しくしているってだけだ。
冬場になると流石に寒さが身に染みる。火鉢に炭を加えて火を付ける。
燃え始めの炭の臭いがしてくると一段落だ。おっと、桶に水を汲んでこねえとな。これは煩いと思うほど命じられることだ。常に火消し隊が家々を回り、消火する水が近くにあるか確かめることもある。
織田様は民が贅沢をしたり騒いだりすることには寛容だが、人様に迷惑をかけることには厳しい。
たかが火、されど火ということか。
腹が空いたが、家に食い物なんてない。少し漁ると酒とひと山いくらで売られている、いわしなんかの細々とした魚の干物があるだけだ。
近頃や飯屋も増えたし、そこらですぐ食える料理を売る物売りもいる。家で作るなんてしねえからなぁ。
まあ、数日食わねえでも死ぬことはない。明日か明後日になれば初詣に行く人を目当てにした物売りが出るはずだ。今日は酒でも飲んで寝てりゃいい。
ふと家の戸の前で隣の童が覗いていた。
「おきた?」
「おう、今さっきな」
遠慮がちにしつつ勝手に入ってくるが、この辺りはどこもそんなものだ。オレはそこまで隣近所と付き合いはねえがな。
「おっ母がね。これもってけって」
童が持って来たのは飯の膳だった。正月らしく縁起物まであるじゃねえか。
「いつも悪いな。なにか返したいが、あいにくとなんにもねえ」
銭ならあるが、銭で返すのも無粋だ。少し手を付けた酒でも持たせてやるかなと思っていると、童がこちらを見ていた。
「また、武芸を教えて!」
「武芸か。オレのはあんまり行儀がよくねえんだがなぁ。まあ、少しならいいか」
この辺りで子らの面倒を見ている爺様の具合が悪い時、何度か代わりに面倒を見たからなぁ。妙に懐かれちまった。
「銀二殿みたいに誰かを助けられる男になりたい!」
正気かという言葉が出そうになるが、そういやここ数年、手を汚すような仕事はしてないなと思い出した。
別に生き方を変えたつもりはねえ。ただ、気が付くとそういう仕事が周囲から消えていた。
久遠様のやり方だ。尾張でも気付いてすらいない奴が未だに多いがな。まっとうに生きられる国をつくっちまったんだ。
「あー! おきてる! おもちもってきたよ~」
「ぎんじどの~」
おいおい、あれよあれよと童が増えていくじゃねえか。ここは寺じゃねえんだぞ。まったく……。
「返すものなんてねえぞ。炭でももっていくか?」
童たちに礼を持たせると、家がすっからかんになりそうだ。
「たびのおはなしして~」
地獄のような世を少しだけ隠しつつ暇つぶしにと話して聞かせた昔のことか。
「そうだな。少し正月らしい話でもしてやるか」
なにもなかったのに、正月らしくなっちまったな。
まあ、こういうのも悪くねえか。
あるがままにってね。