現在大学2年生の安藤《あんどう》 和哉《かずや》は次の講義まで時間があるため、ひとり学部棟のロビーでノートパソコンを使って作業をしていた。
つい最近までなら、和哉はこのような空き時間があれば部室に行って楽器に触っていただろう。彼は元々この大学の軽音学部に所属していたのだ。
しかし先日、和哉はサークルの部長である陣場《じんば》 大樹《だいき》のギターを意図的に壊したとして退部させられてしまった。
(これでいいんだ……俺が退部させられるだけで済むなら、あの後輩は責められることはない。俺はぼっちとして後ろ指をさされながら静かに大学生活を送ろう)
実は部長のギターを破壊したのは和哉ではないのだが、彼はあえて罪をかぶろうとしているようだった。まるで誰かをかばうかのように。
しかし……和哉が思っている以上にサークル内には彼を信頼している人物が多い。
和哉はどのパートの楽器も経験があり、親友部員に教える能力がある。
その上困っている部員たちへの気配りも上手く、自分勝手な陣場 大樹が部長になってからもサークルが崩壊しなかったのは美味くトラブルを解決していた和哉がいたからだ。
和哉はそれらを当たり前の行為だと思ってやっていたため気が付いていないが、そんな彼を陰ながら頼りにしていてサークルの美女たちが、和哉がサークルを辞めたことを黙っているはずがなかった――
本日の講義を終え、安藤 和哉は学部棟の通路を歩いていた。
(いつもこの時間はバンド練をしてたからな……時間を無駄にするのももったいないし、講義のレポートでもまとめるか。けど、まずはその前に何か食べるか)
そんなことを考えた和哉は、コンビニで食べ物を買ってから図書館に行くことにした。
彼は学部棟を出ると、大学の敷地内に設置されているコンビニに入店した。和哉はオニギリをふたつとペットボトルのお茶を手にするとレジに並んだ。
ちょうど講義終わりになる学生が多い時間帯なためだろう、レジ前にはかなりの列が出来ている。
待っている間にイヤフォンで音楽でも聴こうかと思い、ポケットからスマートフォンを取りだろうとしたとき、ふいに右肩を優しくポンポンと叩かれた。
振り返ると、和哉もよく知っている美女が片手をあげて微笑んでいた。
夢川《ゆめかわ》 玲香《れいか》は軽音学部に所属する3年生の先輩で、サークル内でも非常に人気の高い女性だ。バンドでボーカルを務めているため歌姫などと呼ばれている。
大学のサークルで大袈裟だと思う人もいるかもしれないが、実際彼女の歌にはそれだけの魅力があった。
腰のあたりまでまっすぐに伸びるサラサラな黒髪のロングヘア。
黒のジャケットを羽織っており、スラっとした長い脚にまとうスキニージーンズは、彼女のスタイルのよさを際立たせている。
「夢川さん……お疲れ様です」
退部したばかりなため、多少の気まずさを感じつつも和哉は挨拶をする。
「えぇ、お疲れ様。安藤くん、軽音部やめたらしいわね……どうして?」
和哉は少し意外に思った。
夢川 玲香はサークル内でも目立っていて、人気のある先輩だ。それに比べ、自分は地味でサークル内では影のような存在。
いくら同じサークルと言っても人数はそれなりに多く、今まで和哉が玲香と会話を交したのは数回程しかなかった。
そんな自分が退部したことに対して、サークルのマドンナほどの存在がそこまで気にして来るとは思わなかったのだ。
社交辞令という可能性もあるかと思ったが、それにしては彼女の表情は真剣だった。
しかしここで本当のことを言うわけにはいかない。そう思った和哉は申し訳ないと思いながらも嘘を吐くことにした。
「夢川さんも聞いたんじゃないですか? 俺が陣場部長のギターを壊したんです」
「そんなの嘘。安藤くんはそんなことする人じゃないでしょう。新入生に楽器を教えるときだって、ライブの準備でみんなの楽器を運ぶ時だって、あなたが楽器を大切に扱ってるの、私見てたんだから。あなたは退部なんかするべき存在じゃないわ」
「夢川さん……」
(まさかサークルのマドンナが、俺をそんな風に思ってくれてたなんて……)
と、会話をしているうちにレジが空いて和哉の番になる。
ひとまず会話を中断して会計を済ませると、和哉は玲香と並んでコンビニを出た。
和哉は図書館に向かうため、そして玲香は部室に向かうためここで別れる形となる。
「えと、夢川さんがそんな風に思ってくれてたことはすごく嬉しいんですけど……俺はもう、辞めることには納得してるんで」
「そう……わかったわ」
それだけ言うと、何か覚悟を決めたような顔で玲香は去って行った。
その翌日、和哉は玲香がサークルを辞めたという話を聞くこととなった――