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エッセイを小説にするのか、小説をエッセイっぽく表現するのか

 ほら、私最近小説でエッセイを書こうと頑張ってるじゃん。これね、どうにも小説よりな気がしてるんだよね。物語を描いてしまっている。それがいいのか悪いのか考えちゃってね。

 前にも書いたけど、エッセイぽい小説を書こうと思ったら自伝が一番近い形だと思ってて。じゃあそう言う感じで書けばいいんだけど、どうにも感覚がつかめないんだよね。それでエッセイ漫画を小説にしたらどうなるかなって形で書いてるんですよ。それが今の『猫耳娘パレットのどーでもいい日常』でね。
 
 https://kakuyomu.jp/works/1177354054918626679

 内容的には本当にどーでもいい日常なんですわ。ただし主人公は架空のキャラ。猫耳娘です。何故に? って話だよね。しかも学園モノだし。エッセイしつつも小説にしたかったからこうなったんだけど、試行錯誤の毎日ですよ。

 この話の『フリートーク その1』でも書いたんだけど、エッセイを小説にするなら、コントのフリートーク方式の会話主体の話にするべきなんだろうな。情景描写とか心理描写とか極力省いてね。こうするとエッセイの小説化に割と近付いているような気はするんですよ。

 それに対していつもの方の描写はやっぱり小説をエッセイっぽく表現している気がします。小説成分が多いからね。うーん、逆なんかな。よく分かんないや。
 とにかく、小説に読めてしまうと小説だと思うから、エッセイぽく読める方式を採用すべきなのでしょう。うーん、まだまだ答えに辿るつくためには道のりは長そうです。ま、楽しく書いているからいいんだけどね。

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