おばけのおばけちゃんはいつもふわふわと漂っています。そんなおばけちゃんは毎日街をフラフラと適当に漂うのが日課でした。
それは5月のとても気候の良い頃、おばけちゃんはいつものように街をふわふわと散歩しておりました。この街にはおばけちゃんを退治しようと言う霊能者もおらず、とても居心地が良かったのです。街の景色も住む人もおばけちゃんの好みに合っていて、だからおばけちゃんはこの街が大好きなのでした。
「あ、猫さんおはよう」
おばけちゃんが海岸沿いを漂っていると、ちょうど向こう側から歩いてくる猫に気が付きます。そこでおばけちゃんは朝の挨拶をしました。
人間からは見えないおばけちゃんですが、猫の中には見えるものもたくさんいます。大抵はトラブルもなく、お互いに会った時に挨拶をし合うくらいの関係だったのですが、その猫はそんな猫達とはどこか違っていました。
「ふ~っ!」
猫は虫の居所が悪かったのか、おばけちゃんを見た途端に全身の毛を逆立てます。そうして、次の瞬間にはおばけちゃんに襲いかかろうとしたのです。
流石のおばけちゃんもこの展開は想定外。その爪に引っかかれる前に、おばけちゃんは一目散に逃げ出しました。
「え~っ! なんで? 何で怒ってるのォ~ッ!」
おばけちゃんは泣き顔になりながら必死に逃げました。普段はのんきにふわふわ浮かんでいるので、死にものぐるいで動くのはもう何百年かぶり、かつて霊能者に退治されかけた時以来です。
とは言え、おばけちゃんの本気はそこまで早くありません。猫が本気で追いかければ追いついてしまう程度の速さです。だからこそおばけちゃんも本気で逃げ続けるのでした。
「あ、そっか!」
全力で逃げる中、おばけちゃんは自分の能力を思い出します。それは壁抜け。この世の存在ではないおばけちゃんは、建物の中に潜り込めるのです。思い出してすぐに、おばけちゃんは目についた家の中にすいーっと避難しました。
「ふぅ、これで一安心」
家の中に入り込んだおばけちゃんが胸をなでおろしていると、身軽な猫もその家の庭に入り込んできました。どうやら簡単にはあきらめてくれそうにありません。家のサッシからその様子を見ていたおばけちゃんは、その執念深さに恐怖を覚えました。
庭に入り込んだ猫はおばけちゃんを発見して、狙いを定めるかのように前傾姿勢になります。お尻をふりふりしてロケットスタートの秒読み前の様相でした。
その気迫を感じたおばけちゃんは、顔面蒼白になってガタガタと震えます。
「ちょ、まさか……突進してくるつもり……?」
いつ襲いかかってきてもおかしくないと言う緊張感の中、この家の住人らしき女の子が学校から帰ってきました。彼女はすぐに庭に入ってきた猫を見つけます。
「あ、ねこさんだ!」
人間の気配を感じた猫は何かトラウマでもあったのか、一目散に逃げ出しました。女の子は残念そうな表情を浮かべますが、その子のおかげでおばけちゃんの危機は去ったのです。おばけちゃんは女の子にペコリと頭を下げると、またふわふわと散歩を再開させるのでした。
危機を脱したおばけちゃんが日課の散歩を楽しんでいると西の空が赤く染まり始めます。いつの間にかすっかり夕暮れの時間になっていたのです。おばけちゃんは朝焼けの景色も好きですが、夕暮れの景色も大好きでした。
なので、すぐに沈んでいくお日様を見つけじいっと最後に地平線に沈んでいくまで眺めていました。
この時、音も立てずに近付く存在に全く気が付かないまま――。
「にゃーっ!」
「わーっ!」
不意打ち攻撃を受けて、おばけちゃんは傷だらけになりました。霊体のおばけちゃんは物理攻撃で傷つく事はありません。なのにその猫の爪はそんなおばけちゃんのふわふわな体を傷つける事が出来たのです。これにはおばけちゃんも驚くばかりでした。
パニックになったおばけちゃんは頭の中が真っ白になりながら、また急いで逃げ出します。当然猫も速攻で追いかけてくるのでした。
冷静になればまたどこかの家に壁抜けして避難すればいいとすぐに思いつくはずなのですが、この時のおばけちゃんは頭の中が真っ白で全くそんな知恵は回りません。ぐるぐるととにかく道を無闇に走り回って、辿り着いたのは人気のない無人の神社でした。
夢中になって走り回っていたのが良かったのか、猫の気配はありません。何とかしつこい追跡者を巻けたと思い込んだおばけちゃんは、息を整えながら胸をなでおろしました。
「ふう。助かったァ……」
しかし、安心したのも束の間、匂いを辿ったのか、何らかの痕跡に感付いたのか、猫もまた神社に現れたのです。近付く猫に気付いたおばけちゃんは神社の本殿に壁抜けで逃げようとします。
「うわああ~! いてっ!」
けれど、何らかの結界が施されているのか、どうしても壁抜けが出来ません。そのため、おばけちゃんは猫にジリジリと追い詰められていきました。
このままだとあの爪によって大怪我を負ってしまいかねません。絶体絶命のピンチの中、おばけちゃんは覚悟を決めました。降りかかる火の粉を払う決意をしたのです。
「こ、これ以上近付いたら、こっちにだって考えがあるよっ!」
「ふ~っ!」
宣戦布告をしたものの、猫の勢いは止まりません。何で猫が怒っているのか理由の分からないまま、その戦いの幕は切って落とされたのです。
「にゃああ~っ!」
「うわああああ~っ!」
先に動いたのは猫の方でした。その必殺の爪攻撃を紙一重でかわすと、おばけちゃんは思い切って右ストレートを繰り出します。霊体のおばけちゃん、普段は何にも触る事が出来ないはずなのですが、猫にはこの攻撃がヒットしました。どうやら霊体に触れる相手には、逆に霊体からの攻撃も出来る仕組みのようです。
一撃を入れて調子に乗ったおばけちゃんは更に追撃を試みますが、次のパンチは逆に紙一重で避けられてしまいました。その後はもう殴ったり殴られたりの取っ組み合いの大喧嘩。猫の喧嘩をご存じの方は想像がつくと思いますが、それはもう近所迷惑な程の大声の出し合いにも発展します。
あんまり騒がしいので、この神社の本殿に住み着いていた先住幽霊さんが突然顔を出しました。
「うるさいわねぇ、いいかげんにおし!」
幽霊さんの言葉には金縛り効果があったので、猫もおばけちゃんも全く動けなくなってしまいます。この幽霊さんの説教は一時間ほど続き、怒られた2人もすっかり気落ちしてしまいました。
「……じゃあね、私はもうこれでまた寝るけど、あんた達は出ていって頂戴っ! 今度何かあったら呪うわよッ!」
言いたい事を言い終わった幽霊さんはプンプンと鬼の形相を崩さないまま、また本殿に戻っていきます。主を怒らせてはもうこの場所にはいられません。2人は神社を出てトボトボと歩き出しました。さっきまで敵意むき出しだった猫ですが、もうすっかりその気持ちは収まったようです。
2人が歩調を合わせて歩いていると、その2つの影を優しく照らす存在がありました。そう、それは夜空に浮かぶお月様。2人は同時にお月様の存在に気付き、息を合わせたみたいに同時に夜空を見上げるのでした。
「ああ、なんて綺麗なお月様……」
「にゃあ……」
おばけちゃんがその月の美しさに息を呑んでいると、猫は優しくおばけちゃんの体に触ります。もう爪は出しません。ぷにぷにとした肉球がおばけちゃんの体を優しく刺激しました。
その仕草から猫の気持ちを何となく察したおばけちゃんは、自分も優しく猫の体をゆっくりとなでます。ふわふわのその体はとても優しい触り心地なのでした。
お互いのスキンシップで心が通じ合ったところで、猫は仲直りの証としておばけちゃんをペロペロと舐め始めます。とてもくすぐったかったものの、おばけちゃんはその好意を受け止め、ずうっと猫の気が済むまで舐めさせるのでした。
こうして、おばけちゃんと猫はすっかり仲良しになります。おばけちゃんが散歩をするといつも猫は寄り添って一緒に歩いてくれるのでした。おばけちゃんはかけがえのない友達を得て、ますますこの街が好きになったのです。