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自由って何かね?

 今(※執筆時)、ネット内でホットな話題と言えば、愛知の例の美術展の問題だったりする訳ですが、問題が問題だけに左側の人が中止に怒り、右側の人が展示に怒っています。
 津田さんがインパクトを出すために作品を選んだと言う話もあり、ただの芸術作品の話ではないと言う事は明白になりつつありますね。

 これが政治的なアレを目的としていないなら、こんな一方的な事をしてはイカンと私は思いますね。慰安婦像を出すのなら、実はアレ、本来は慰安婦の像ではないのですが……慰安婦って言うのはあの当時の高級娼婦ですよ。って言う事実も併記するとか。特攻隊員を馬鹿にしたり天皇陛下を侮辱するアートなんて言語道断ですけど、同じくらい褒め称える作品も同時に展示するとか。

 芸術なら何をやっても許されると言うものではないでしょう。中止になってしまったのは思うところもありますけど、中止になっても仕方ないかなと思う内容でもありますよね。税金が投入されていますしね。
 国が慰安婦像で嘘を撒き散らすのを止めてねって運動をしているのに、その国の予算を使って国内での慰安婦像展示はまずいでしょ。

 この問題のそもそもの問題は、国が予算を投じるのに、発表する作品にノータッチだったのかと言う話でもあります。きっとそうだったのでしょうねぇ。この作品にはお金は出せないよとか事前に審査があったなら問題の作品は却下された事でしょう。
 これがもし審査済みだったのだったとしたら……ちょっと呆れてしまいます。

 実際、大騒ぎになるのは津田さんの想定内でしょうし、中止になるところまで計算していたと言う可能性はあります。
 自由を考えるのにいい問題提起にはなりましたよね。私からは以上です。

1件のコメント

  • 夕日 ゆうやさん こんばんは☆彡

    自由に正しさも間違いもないと思います。ただ、その人にとっての正しさや間違いはあると思いますけど。それは自由とは別の話かな。

    確かに仰る通りネットは無責任なところはありますね。その代わり反響と言う形で返ってくるものはあると思います。定められた責任はない代わりに、個人個人の答えが戻ってくるのですね。自己責任の世界でもあります。

    特攻隊を馬鹿にすると不自由? これはちょっと言葉として意味が通じない気がします。表現の自由を是とするなら特攻他を馬鹿にしようが天皇陛下の写真を燃やそうがそれ自身は自由です。だから展示したのですよ。それにどう言う反応が返ってくるのも自由だっただけで。
    誰かの大事なものを踏みにじったので、その誰かが怒ったと言うだけの話。

    そう言う人を怒らせてでも、傷つけてでもその展示はする必要はあったのかという話なのですよね。それよりも自由の方が上なのかと。

    つまり、このノートのタイトルは人を傷つける自由はどこまで許容されるのかと言う意味でございます。少しでも傷つく人がいるならアカンと言うのなら、やはり中止になって然るべきだったのではと。
    その判断は人によって違うのでしょうけどね。私はあの展示は行き過ぎだと感じました。中止に至った経緯は暴力に屈した形にしたので問題ではありますけど。
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