ふと、思い付いたので覚え書きをここに残しておこうと思う。
言葉には【強い言葉】というのがある。
例えば【最も】
例えば【一番】
例えば【嫌い】
例えば【ムカつく】
例えば【死ね】
Xなんかで、誰かのポストを見かけて『不快だな』と感じる時、そのポストにはこういった【強い言葉】が使われている事が多い。
【最も】とか【一番】という修飾語句はポジティブでもネガティブでもないフラットな言葉だけど強い言葉だ。
【嫌い】【ムカつく】【死ね】等の述語はネガティブで強い言葉だ。
ネガティブな強い言葉がフラットな強い言葉で増強された時、私たちはそれが自分に向いていなかったとしても、無意識に傷ついてしまう。もちろん、ネガティブで強い言葉単体でも同様だ。
私達の脳は、感情を司る部分で自他を認識出来ないのだと言う。それ故に他者を罵倒した時に、その罵倒は自身にも突き刺さってしまうのだ、と。
そういった脳の機能を逆手にとって、強い言葉を用いてバズを狙うという手法が、たぶん、巷には溢れてる。
まあまあ、うんざりする話だ。
さて、我々物書きを趣味とする者は、その辺りの事を認識した後に、普段からの表現に強い言葉を使わない訓練が必要なのではなかろうか、なんて事を思う。
言葉自体が強い……そういったものを多用するワードチョイスが基本となると、表現に深みが出ないような気がする。
言葉単体それぞれは決して強くないのだけれど、それらが融合し、うねり、読者の心の何処かに突き刺さるような文章表現こそが普遍的に美しいのかも知れないな、なんて事を思う。
ま、難しいけど、そんな事が出来たらいいな。