リーツェル王国からカーセム=シン王国へ帰る道すがらの馬車の中。
メヒティルデは膝の上に置いて読んでいたぶ厚い本を閉じると、隣に座っているサーディクに差し出した。
「これ、あなたの火魔法で燃やしてちょうだい」
「いいのか? ずっと大切に持っていた本ではないか」
「もういいの。悲しいお話は終わったから」
そう言い、窓の外を見遣る。遠ざかるリーツェル王国の王城の輪郭を、眼差しでなぞった。
本の正体は、かつてメヒティルデが視た悲しい未来を記した手記。そこには氷晶の賢者ことエーファ・ヘルマンがメヒティルデ・アーレンベルクや王太子のアンゼルム・リーツェルに搾取され、ボロボロになっても兵器として働かされている未来が記されている。
「可哀想な魔法使いは、悪い王子からも悪女からも解放されて――幸せになりましたとさ」
ポツリと呟いた言葉に、サーディクは眉根を寄せる。
「自分を悪女と呼ぶなと、何度言えばわかる?」
「仕方がないじゃない。私の未来視ではずっと、悪女だったもの」
「その未来を自分の手で書き換えたのだから、もう自分を悪女と呼ぶのは止めろ。メヒティルデは俺の最高の伴侶で――誰よりも優しい王妃になる人間だ。お前の言葉を聞けば、あの元侍女が泣くぞ?」
「……そうね。エーファならきっと、泣きながら怒ってくれるわ」
脳裏に浮かぶのは、出国する直前まで自分にしがみついて泣いていたエーファの顔と声。
かつて、彼女が視た悲しい結末とは、異なる未来。
「エーファが私を、悪女から脱却させてくれたの」
メヒティルデは幼い頃、原因不明の高熱に魘された。何日も生死を彷徨ったらしい。
その間に、長い長い未来視を視た。そこに出て来た少女が未来を変えるきっかけだと悟ったメヒティルデは、熱が引いてからすぐにその少女を探したのだ。
そうして出会ったエーファ・ヘルマンを自分の庇護下に置いた。すべては自分と、王国の破滅を防ぐために。
(だけど、いつの間にかエーファの幸せのために未来を変えたいと思うようになった……)
純粋に愛情を向けてくれるエーファが、過酷な日々を送るメヒティルデの心の支えだった。
どんな結末になろうと、彼女だけは幸せにすると誓うほどに――。
「あ~あ、メヒティルデは二言目にはエーファだな。そろそろ妬いてしまうぞ」
サーディクはブツブツと不満を零すと、呪文を唱えて本を焼く。
やきもち焼きな婚約者に、メヒティルデはそっと柔らかく微笑んだ。