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みええええ、という鳴き声にスサーナは目を輝かせた。
「こやぎ!」
今年も夏がやって来た。九歳の夏というやつはまたなかなかに格別なものであり、スサーナは、毎年の習慣になった、夏の買い付けについてのヴァジェ村訪問にやってきている。
叔父さんの予定のおかげで前夜にお家を出たので、村についたのも朝早く。スサーナは馬車の座席で毛布をかぶって星を見ながら夜を過ごすという物語的な実績を解除したため、節々がぎこぎこしていたが、テンションはダダ上がりに高かった。
夏になると毎年やってくる街の商人の子、という、「村もの」ではいい感じの立ち位置に収まったスサーナは、例年滞在している村の宿に着くなり今年も村の子供達の歓迎を受けた。
そんなわけで、今日のスサーナは放牧された山羊と遊ぶことになったのである。
「おう。オロスさんちの山羊がたくさん子供生んだから」
「スー、絶対見たいだろうと思ったんだ!」
自慢げなフィートとメルチェが示す先にはいかにも牧歌的な風景が広がっていた。
主な産業が養蚕のこの村では、あまり牧畜っぽいことは盛んではないようだが、それでも村から少し離れたなだらかな丘では山羊や羊が放されて、緑の丘陵にぽつぽつと白い模様を形作っている。その一角に子山羊天国が存在していたのだ。
ぴちぴちした短いしっぽにぱすんとした足つき。やや毛長なのはそういう種類なのだろうか。
わちゃわちゃと数頭いる子山羊は思い思いによちよちとスキップめいて跳ね回り、羊の背中に飛び乗るなど、幼い暴虐を極めている。
「ほわーっ……あっ、こっちに来ました! なにか欲しいんでしょうか。一体何を食べるんでしょう……」
「この子達は先月生まれだから、まだお乳飲んでるよ。大人になると草とか……葡萄の葉とか、桑の葉も食べるんだ」
「ブラシを掛けてほしいんだよ。スーもやるか?」
子供たちに駆け寄ってきた子山羊はでは何を求めているのだろう、と思ったスサーナだったが、大きな歯ブラシのようなブラシで子供たちがわしわしと背を掻いてやるのが子山羊達のお好みらしい。あっという間に小さな――とはいえ、スサーナの腰ぐらいはある生き物なのだが――ふわふわに囲まれ、スサーナは白かったり黒かったり茶色のまだらだったりする子山羊たちを堪能した。
「ぴょんぴょん、ふわふわ…… あ、でも、去年も一昨年もこの時期に来ましたけど、子山羊、いましたっけ? 私が見ていないだけかな」
「もっと早い時期が普通なんだよ。今年はオロスのばあちゃんとこの山羊のうまれるのが遅かったの」
言ったキケとハビが微妙に含みがある感じで笑い合う。
「ほんとはオロスのばーさま、この時期にずらすのが得意なんだ。ヤギのミルクが減る時期にミルクの出のいいようにするんだ」
「去年まではね、警戒してたから」
?となったスサーナに苦笑したメルチェが説明した。
「子山羊も子羊も捕まえやすいでしょ、外国人の仕業って思ってたけど、あそこのおばあちゃん、用心深いから」
「あ、ああー……」
つまり、クマ事件の余波だった、ということだ。スサーナは深く納得し、頭突してくる子山羊の頭をわちわちと撫でた。
「まあ、もう大丈夫だろ。エウメリアんとこの奴らがまたクマを捕まえようとしたりしなきゃいいんだし、二匹目のクマなんてそうそういないもんな」
「あら、私の噂?」
肩をすくめて言ったフィートが後ろから声を掛けられてびゃっと飛び上がった。後ろに立ったのは誰あろう、エウメリアだ。
「うわっ、エウメリア!」
「エウメリアだ!」
スサーナより三つ年上になるエウメリアは、漂泊民の旅隊の手伝いをする時間が増えたため、一緒に遊ぶ時間は少しずつ減った。それでもスサーナが来る頃に村の側に滞在するのをいいことに、スサーナが来ていると分かるらしく、滞在中に一度か二度は顔を出していく。
「エウメリアさん、お久しぶりです」
「はい、スー。元気そうね。子山羊なんか抱えちゃって。子山羊肉、美味しいのよね……」
「食べちゃ駄目だよ!?」
「エウメリアが食うパターンもあったか……!」
なんだかんだ話題を聞いていたらしくわざとらしくぺろっと唇をなめてみせたエウメリアに慌てて子供たちはざざっと子山羊を後ろに隠し、エウメリアはやあね冗談よ、とけらけらと笑った。
ひとしきり、エウメリアも混ぜて夏草を摘む。
食べられる野草だとか、夏のハーブだとかにエウメリアは詳しく、メルチェが料理に使えるかもと目を輝かせるたびに鳥の民の面目躍如よとツンと澄ましてみせて、可愛らしいなとスサーナはいつもほのぼのするのだ。
野生のチコリと春菊、スイバにスベリヒユ、アザミとルッコラ。ディルにチャービル、たんぽぽは若葉を少しずつ。
「ふふ、それじゃ半分は貰っていくわね。あたくしはそこまでじゃないけど、長老様はこういうところの摘草の|レヴェルト《卵炒め》が好きだから、きっとお喜びになられるわ」
「うん、でもお店にも来ればいいのに。うちの父さんはレヴェルトだって得意料理なんだけどなあ」
「あら、あたくしだってよ? あなたのお父さんには負けるかもしれないけど、長老様の一番好きな味を作れるのはあたくしだわ」
「メルチェのまけー」
「それじゃあ仕方ないですよねえ」
「むうーっ、しょうがないなー!」
お昼の時間になるまで摘んで、そこでエウメリアは帰っていく。巡回に来る羊番に見つかるとややこしいことになるからだと言うのがその理由で、やっぱり季節行事に組み込まれていても村人と漂泊民はふんわり距離があり、すこしスサーナは悲しくないこともないのだが、実際羊を取っていったのもその他なんだかフリーダムな行為をやらかす可能性も無いでもないのは本当なので、どうしようもない問題でもある。
不幸中の幸いというか、将来の希望と言うか、この世代ではしっかりなかよしなので、皆が大人になる頃になればもしかしたらエウメリア達のキャラバンとは仲良くやっていく時代も来るのかもしれないけれど。
スサーナはそうなることをそっとなにがしかの神様にお祈りしておいた。
お昼はメルチェのおうちで昼食になる。スサーナの分は叔父さんが昼食代を先払いしてくれているそうで、お店でメニューを見せてもらって食べてもいいのだが、四度目の夏ともなればすっかり店主も慣れたもので、裏で子供たちみんなにご飯を食べさせてくれるのだ。
なんだかスサーナの昼食代を四人で分けているような感じな気もうっすらするのだが、わちゃわちゃご飯を食べたほうが楽しいので、スサーナとしてはまったく文句はない。
籠一杯の食べられる野草をメルチェが代表して裏口に運び込み、楽しげに笑ったメルチェの父親の号令で、裏の井戸で子供たちみんなでわしゃわしゃ洗ったりもする。
だいたい洗い終わった野草は、プロの手ですすぎ洗いをしたあとで塩でもんだり茹でたりして料理の足しになる。
今日の昼食は、お店のメニューでもあるハムとローズマリーをまぶした芋をグリルしたもの、それからメルチェの父親がさっとその場で作ってくれた、スサーナが羊番から買ってきた山羊乳と野草を使ったスープと、同じくスサーナが買い込んできた山羊のチーズと野草のサラダ。もう一品の野菜兼デザートとして甘みの薄い地メロン、それにパンは食べ放題、というメニューだった。
張り切って子供たちが集めてきた野草はそれでももっと沢山余ったようで、みんないっしょくたに茹でて塩でもんだものにたっぷりオリーブオイルを絡めて、ハムの脂と炒め、お店の方にも出ることになった。
メルチェはそうして取ってきたものがお店に出るのが嬉しくてならないようで、スサーナはそれもなんだかにこにこしてしまうのだった。
ほろほろでしょっぱいヤギのチーズと、ほろ苦い野草はとても合ったし、野草の爽やかな香りと苦味が足されたコクのある山羊乳のスープは、癖が強くて山羊乳が苦手なスサーナでも――とはいえ、村で食べるものは普段苦手なものでもなんとなく食べられてしまうという不思議な現象が起きがちなのだが――美味しく食べられてしまう。
籠で用意してもらったパンに、半分それぞれ切り分けて残したハムとサラダをはさみ、各自それをハンカチで包んだりなどして荷物に入れて、午後は皆で魚取りだ。
これはもはや毎年の習慣で、食事の後ながらこうしてお弁当を持つのは、いつぞやのクマ事件からの習慣で、うっかり何か夜まで帰れない出来事があっても一食は確保されている、という安心のためだ。
「っし、見ろ! マス!! 赤い肉のマスだぞ!」
30cmほどあるマスを突いて拳を振り上げたフィートにメルチェがまだ一匹じゃない、と呆れたふりをして見せる。
今年の魚取り場所ははからずもあの年クマが出たのと同じ場所で、しかし今年は流れの中にはたっぷりと魚がひしめいているようだった。
「みんなの夕ご飯になるぐらい突いてもらわないとー。ねー、スー。スーが今年はマスのソテー、食べられるかどうかはフィートに掛かってるんだからね」
「っし、待ってろ、後四匹!」
「あっ、叔父さんの分もお願いします! 五匹で!」
にーっと笑ったメルチェがようし、と気合を入れた。
「川海老と小魚はハビとキケが捕るから、アタシとスーでマスのソテー用の木苺を集めちゃお」
「木苺をソースにするんですね」
「うん、肉の赤いマスは木苺のソースがいいんだ。桑の実でも美味しいけど、桑の実のソースはうちに瓶いっぱい煮てあるからさ」
「あー、メルチェ、ずるい。スーはハゼ掬い要員にも必要だとおもうよ」
「ハゼのフリットだって旨いよー、なー、スー!」
左右から引っ張られ、スサーナはふむ、と思案したふりをする。
「役割分担ですね。小魚取りはもう二人いますし、ハビさんとキケさんに期待するということで。私はメルチェさんとソースの材料を集めましょう!」
「ふっふーん、ほーら! スーはアタシと来るんだから!」
「まさかハビさんもキケさんもメルチェさん一人で木苺の茂みのほうに行かせたりしませんよね? またクマが出たら一人では……」
「クマが出たら五人でも逃げるしか無いと思うけど。でもしょうがないね。確かに」
「エウメリアいないもんなー」
明日、もしくは来年はエウメリアも込みで来ればクマも怖くない、そう言いつつも男の子たちはスサーナをベリー取り要員にカウントしてくれたらしく、二人で網を持ってフィートより少し下流に向かっていく。
スサーナはメルチェとクスクス笑いながら、真っ赤に実ったベリーを摘みに向かうことにした。
たっぷり魚を取り、小魚と小エビも集め、ベリーも集めて、夕暮れの道を村まで戻る。
またメルチェのおうちに食材を預け、宿で着替えたり入浴用の荷物の準備をしたりしていると、叔父さんが商談から戻ってくるので、先にお湯を運んでもらって体を洗ってから宿に集合した子供たちと一緒に食堂に向かうのだ。
小魚と小エビは一晩井戸水で飼って泥を吐かせるらしく夕食には出てこなかったけれど、確かにマスを塩でしめ、カリカリにバターでソテーして甘くないラズベリーソースを掛けたものはなかなかの美食であった。
子供たちのマス取り武勇伝をおつまみにワインを飲んでご機嫌になった叔父さんと手をつないで、ぶら下げられたりくるくる回されたりしつつ宿に戻るともう勝手にまぶたが落ちてくるようで、体を濡らしたタオルで拭いてスサーナは早々に寝床に潜り込んだ。
開けた窓から見事な星空が見える。
明日もきっと、素晴らしい外遊び日和に違いない。