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先行配信『最果て聖女と初恋の守護騎士』1話

 春先のある夕方。宙にふわふわ浮かぶシャボン玉を掴もうとして、十歳の少女は手を伸ばす。
 うっすら虹色を纏う無数のシャボン玉は、からかうように小さな手をふわり、ふわりとすり抜けていった。

 ようやくひとつに触れたと思った、その瞬間に。
 シャボン玉は音も立てずに消えてしまった。まるで最初から何にも無かったかのように、綺麗さっぱりと、消えた。

「シャボンだま、またきえてしまいましたね」

 少女の鈴を降るように透き通った声に、傍らにいた少し年上の少年が振り向いた。
 少年の手にはストローが握られ、彼がこのシャボン玉の群れを作り出したことを示していた。

「シャボン玉はきえてしまうものだよ」

 当たり前のことを言って、少年が控えめに苦笑した。
 海の青とも空の青とも異なる美しい色合いの碧眼に、ベリーショートにきちんと整えた黒い髪。まだ十二歳にしてあどけなさより精悍さが目立つ、あらゆる意味で成長後が楽しみな少年である。

「でも、」
「きえたら、またあたらしく作ればいいんだよ」

 少年が微笑んでふーっとストローを吹けば、また沢山のシャボン玉が宙を飛ぶ。だが少女は不服だった。

「きえたものとあたらしいものは、ちがいます。わたしはさっきこわれたほうのシャボンだまがいいのです」

「それはちょっと……きえたシャボン玉をもとどおりにするのはむりだと思うよ。魔法がつかえればべつかもしれないけど」

「まほう、つかえないのですか?」
「この国じゃむりだよ。だってマナがないじゃないか」

 少女らが生きている魔法世界アタラクシアは、名のとおり魔法で形作られた世界だ。
 世界各地に聳える『世界樹』から絶えなく発せられるエネルギー『マナ』を用いて人々は生活している。

 だが。神々の悪戯かなんなのか、世界にはマナの恩恵が受けられない場所もあった。

 それがここ、『最果て』と呼ばれる島国エテルノ王国だ。

 世界地図では西の端に位置し、少ない人口ながらアタラクシアではトップクラスの発展力と治安の良さを誇る『平和を愛する先進国』である。

「でも『まな』がなくても、この国には『えーてる』があります」
「エーテルは聖者か聖女じゃないとつかえない」

 その代わりエテルノ王国各地には、天界の大気を元にして作られたという『大水晶』が存在する神殿が設置されていた。

 ひとつの大水晶ごとに各一人ずつ、祈りを通して魔法を使える者がいる。男性なら『聖者』、女性なら『聖女』と呼ばれる人物たちである。

 エテルノ王国とその周辺海域を包むとされる天界からのエネルギー『エーテル』を通じて、彼ら彼女らは魔法を行使できるのだ。

 またマナで電気やガスといった各インフラが成り立つあちらの世界と違い、こちらの世界では地熱、水力、風力、太陽光といった様々な自然エネルギーを使用して生活をしている。

「ていうかポラリスこそ、聖女こうほなんだろう? しょうらい魔法が使えるかもしれないよ」

 聖者や聖女となる人物には決まった特徴がある。

 一、来たるべきが来た時に大水晶を通じて名を呼ばれる。
 二、生まれつき銀色の髪と赤い瞳をしている。
 三、何かと困難な人生を送ってきている。
 四、出生地がエテルノ王国である。

 そして少女ポラリス・クライノートは、絹のように滑らかな銀糸の髪と、ルビーをはめ込んだかのように煌めく赤い瞳を有していた。

 ゆえに聖女候補として、行政のリストに登録されてもいた。

「そんなこと、どうでもいいのですっ」

 あまり人に注目されたくないポラリスには、聖女になって人々の前に立つ……なんて面白くも何ともないことだった。
 そもそもポラリスにとっては、この人生自体が面白くないことだった。

「そんなことより、わたしはおかあさまやおとうさまにやさしくされたいっ」

 悲鳴のように、吐き捨てる。
 彼女が親と上手くいってないことをよく知る少年は、ばつが悪そうに眉を下げた。

「ごめん……ポラリス」
「…………」
「でもおれは、おれだけはぜったいきみの味方でいる。だからだいじょうぶだ」

 ぽんぽんと、ストローを持ってないほうの手でポラリスの背中をさする。

「ほんとうにみかたでいてくれるのですか?」
「あたり前だ」
「ならちゅうがっこうに行っても、わたしのそばにいてくれますか?」
「それは……」

 少年は言い淀んだ。
 これまで二人は同じ小学校に通っていた。少年が最高学年たる六年生、少女ポラリスが二つ下の四年生。

 そして今日は、少年たちの学年の卒業式だった。
 君の味方だと言いながら、彼は来月にはポラリスとは違う場所へ行ってしまうのだ。

 毎日のように放課後一緒に遊んでくれた男の子が、遠くへ行ってしまう。今まで小学生同士だったのが小学生と中学生になってしまう。

 ――わたしはそのことがとても、とてもかなしい。

 中学に行けば部活動もあるし、定期テストもある。高校受験だって考えねばならない。
 対人関係も広がる。自分がその広がった関係の片隅にしかいられないことを、ポラリスはなんとなしに理解していた。

「そんな顔しないで。生きていればすぐあえるよ」
「いきていなければならないの、ですか……?」

 十歳の女の子から発されるにしては、酷く不穏な言葉が響いた。
 午後五時前の黄昏時、ポラリスのあかいろの瞳によく似た色合いの空がどこまでも広がっている。

「生きてて……つらい?」


「つらいです。おかあさまはわたしに『お前なんか産まなきゃ良かった、消えろ』となんどもなんどもいいます」


 ポラリスはよりによって母親に命を軽視され、軽蔑されていた。本来なら一番に愛情を注がれるべき人に。


「わかるよ」

 あっさりと少年は同調した。彼は彼で大変な身であることを、ポラリスはこの四年間の付き合いで思い知っていた。だからこそ、自分のことも分かってくれると。

「おれも親父になぐられてばっかだしさ。昨日もメシぬきだった……。でもおれはきみには、生きていてほしい。きみがいきているならおれも、生きられる」

「おれはさ、ポラリスが生きてくれればいっしょに生きるし、きみが死んだらきっとおれも死んじゃうんだ」


 あまりにも、あまりにも重々しいことを、至って普通に少年は言って退ける。
 その青い瞳はどこまでも真剣だったから、真っ直ぐで嘘の一欠片も見つけられなかったから。

「わかりました、リヒトさん。わたしは生きます。生きて……またリヒトさんにあいます」

 たどたどしくもポラリスがそう答えれば、少年リヒト・アンブロワーズは涙を流さずに泣き笑いをした。



「ありがとう、ポラリス。またあえて大人になったら、そしたらけっこんしような」
「はい、よろこんで!」



 幼くも切なる約束を交わしたとき、最後のシャボン玉が音も無く消えた。


 これは世界の最果てで紡がれる、彼女と彼が癒やし、癒やされるための恋物語である。

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