• 異世界ファンタジー
  • 詩・童話・その他

テリー・イーグルトンの文学とは何かで紹介されているテクスト分析

こんばんは、ナナイです。テリー・イーグルトン著 文学とは何か。まだ構造主義と記号論の途中までしか読んでないのですが、簡単な実例で本書で紹介されてるテクスト分析を紹介します。まあ引用なのですが。

「今私たちは、ある物語を分析しているところだとする。それはこんな物語だ。一人の少年が父親と喧嘩したあげく家をとび出る。少年は、昼日中、森のなかへと足を踏み入れ、深い竪穴へ落ちてしまう。息子を捜しに出た父親は、その竪穴をみつけなかをのぞきこむが、暗くてよくみえない。と、そのとき、真上にのぼっていた太陽の光が葉陰からさしこみ、その光線で竪穴の奥深くを照らし出す。その結果、父親は息子を休出することに成功する。喜び仲なおりした二人は、連れ立って家に帰る。」

略「この物語は明らかに色々なやり方で解釈出来そうだ。」略

「精神分析批評家なら、ここに、エディプス・コンプレックスの決定的ヒントなるものを読み取り、少年が竪穴に落ちることは、父親と喧嘩したことで自分自身を罰してしまいたいという少年の無意識の願望を表面化したものであり、それはまた、象徴的去勢行為もしくは母親の子宮への象徴的回帰かもしれないことをていねいに例証することだろう。」略

「ヒューマニストの批評家なら、人間関係のなかにひそむさまざまな障害を面白く劇化したものとして、これを読むだろう。」略

「構造主義批評家ならどうするか。分析はまず、物語を、図式的形態に整理することからはじまる。『少年が父親と喧嘩をする』という意味作用の第一単位は、『低いものが高いものに反抗する』と書き換えられる。少年が森のなかを歩いていくことは、水平軸にそった運動であり『低い/高い』という垂直軸と対照をなす。この部分は『中間』という指標を与えることができる。竪穴へ落ちること、これは地表面より下にある場所へ下りることだから『低い』という意味づけとなる。天頂にある太陽は、『高い』を意味する。竪穴のなかを照らしだした太陽は、ある意味では『低く』身をかがめたことになり、こうして、物語の冒頭の意味単位、すなわち『低いもの』が『高いもの』と衝突することが、ここで逆転されたとわかる。父親と息子の和解は、『低いもの』と『高いもの』との均衡状態の回復であり、二人がつれだって家に帰るのは『中間』を意味し、この『中間』部が効果的な媒介役をはたしたことがあらためて明示される」

他にもフェミニズム批評なんかもあるのですが、まだ途中なので割愛。私が大学でしてたのもフェミニズム批評なんですけど、袋叩きにされましたからね。男の決めたルールを女が破り、どんなに酷い男の名誉でも、傷つけたなら、ホモソーシャルルールで集団で潰されるんですよね。実力で男が敵わないとなると性被害に遭うこともあります。こういう薄暗いホモソーシャルルールについては書いた方がいい気がします。

最近はフェミニズム、ジェンダー批評が盛んですけど、上野千鶴子氏が拷問AVを作ったバクシーシ山下と仲がいいらしいし、拷問AVはわいもツイッターで批判したことあるけど、あらゆる学者や男から袋叩きに遭いましたからね。こちらの実力で男が敵わないとなると性被害に遭うこともあります。


あと私の書いてる作品はあまりフェミニズムではないのですが、ロリコン向けだとは思いますがorz

コメント

コメントの投稿にはユーザー登録(無料)が必要です。もしくは、ログイン
投稿する