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『麒麟がくる』で加納口の合戦が放送されましたね

こんばんは、名月明です。

今年の大河ドラマ『麒麟がくる』!!(やっと来た!)
みなさんご覧になっていらっしゃるでしょうか。
私は1996年の『秀吉』の頃から毎年欠かさずに視聴しているため、もちろん観ています(*^^*)

私の作品『天の道を翔る』(信長が主役)を読んでくださっている方は、『麒麟がくる』で描かれた加納口合戦(信秀VS道三)が私の作品と内容がずいぶんと違うことに気づかれいてるかも知れません。
歴史というのは色んな説があり、時には通説だったものが新たな史料が発見されて覆されることもあります。だから、「どの説を採用するか」でけっこう内容も変わってきちゃうわけですな。だから歴史物語は面白い!!(≧▽≦)

私の作品『天の道を翔る』と『麒麟がくる』における加納口合戦の違いを大まかに見てみると、以下の通りですね↓


〇戦いが起きた年が違う
『天の道を翔る』は1544年、『麒麟がくる』は1547年です。
司馬遼太郎さんの『国盗り物語』は1547年説だったかな?
『天の道を翔る』では、連歌師の宗牧が1544年10月に尾張を訪れて美濃で敗戦した直後の信秀と会っているらしいので、1544年説を採用しました。

〇この時期の美濃守護が誰だったかが違う
『天の道を翔る』で非業の死を遂げた土岐頼純さん(帰蝶の最初の夫)ですが、『麒麟がくる』でも道三に毒殺されていましたな(^_^;)
ただし、ドラマのほうでは美濃守護(つまり、美濃の国主)という地位になっていました。私の作品では、美濃守護は土岐頼芸(頼純の叔父)でしたね(ドラマでは次回から登場するみたいです)
これにも諸説ありまして、「土岐頼純は道三に国外追放されて織田・朝倉を頼り、後に美濃へ帰還して美濃守護となった」という説と、「美濃に帰還はしたが、守護にはなっていなかったのでは?」という説があるようです。私は後者を採用しました。

〇朝倉軍がいない……!!
『麒麟がくる』では、織田軍と一緒に美濃を攻めたはずの朝倉軍の存在が抹消(?)されていましね(>_<)
拙作『天の道を翔る』では、「土岐家の嫡流である土岐頼純が道三&土岐頼芸に美濃を追放されて母の実家である朝倉家の元に逃げ、頼純を復権させるために朝倉と織田が連合軍を結成した」という流れでした。
ここらへんのお話はけっこう複雑だし、一般視聴者が分かりやすくするためにドラマでは簡略化したのかも……?
ただ、主人公の明智光秀と朝倉家は後々浅からぬ関係になってくるはずなので、チラッと朝倉軍を出してもよかったかも……と勝手に思っています(まあ、ただの個人の感想ですが(^_^;))。



いやぁ~、それにしても迫力のある合戦シーンでしたね。
稲葉山城のセットも凄かったし! 本木雅弘さんの道三かっこよかった! うちの道三とは大違いだな(笑)
脚本は私が大好きな『太平記』の池端俊策さんですからね。どんな戦国絵巻が展開されるか期待しています(≧▽≦)

歴史物語は作者によっていろんな色彩を放つのが醍醐味。私が小説で採用している説と違っても、「こういう解釈も面白いな!」と思いながら一年間楽しみたいと思います。

あと、『天の道を翔る』読者のみなさん、気がついてました?
武闘派神職・千秋季忠のお父さん、テレビに映ってましたね(神主姿だった人)。討ち死にしたけど(笑)



以上、過去の大河で一番好きな明智光秀役は村上弘明さんな名月明でした!!

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