みなさんこんにちは。
三連休を利用して、角川文庫版と角川スニーカー文庫版の『涼宮ハルヒの憂鬱』を読み比べをしていました。(修正箇所などを探していました)
第三章以降にいくつかの表現の変更が見つかりました。本筋にはあまり関わらないので気になる方は読み比べてみてください(面倒であれば私のTwitterアカウントをざっと読んでもらっても構いません
https://twitter.com/CamomiiiileA)
二次創作を書くうえでも原典にあたるのは最重要なことであるので、じっくり読むことができてよかったです。
さて、今回『涼宮ハルヒの憂鬱』を改めて精読してみた結果、唐突に涼宮ハルヒの驚愕で藤原が言っていた『それ』について閃いたので備忘録がてら書いてみます。
※以下、『涼宮ハルヒの驚愕』のネタバレに触れます。まだ読んでない方は本編を読んでからこちらも読んでいただけると幸いです。
具体的には『涼宮ハルヒの驚愕(後)』のクライマックス、部室で朝比奈みくる(大)を目にして藤原が壊れるあたりです。(古泉が本性を現すちょっと前)
藤原「そして、涼宮ハルヒはとっくに‘‘それ‘‘をやっていたんだ。僕たちがここに来る、遥か前に……」
ここにでてくる『それ』とは何のことを指すのか、疑問に感じました。直前のやりとりもみてみましょう。僕たちは過去も未来も変えられないという藤原に、朝比奈さん(大)が問いかけるシーンです。
朝比奈さん(大)「じゃあ、あなたはなぜ、ここにいるの?」
藤原「今、この時のためさ。一瞬の今、刹那の時の積み重ねによって時間は構築される。だったら『現在』の構成要素を我々の未来まで永続して変え続けていけばいい。時間平面を断層ごとに修正し続ければいい」
(中略)
藤原「この時間平面から未来へと時空連続体を一気に書き換えるんだ。途中の歴史などどうなっても構わない。時空間が僕たちの未来で確定したならば、あとで過去を顧みる余裕もできるさ」
『それ』とは、『この時間平面から未来へと時空連続体を一気に書き換える』ことを指すのかな。もう一つ前の台詞の『時間平面を断層ごとに修正し続け』るということでも辻褄は合いそうですが。
さて、藤原によれば、ハルヒは過去に『この時間平面から未来へと時空連続体を一気に書き換える』または『時間平面を断層ごとに修正し続ける』ことを行っているようです。
ハルヒが原因となる未来に関係することといえば、『時間の歪み』を発生させてそれ以上過去に遡れないことが最初に思いつきます。しかし、それは未来に干渉こそすれ、書き換えや修正とは違うように思えます。
では、『エンドレスエイト』のことでしょうか。古泉曰く、あれは世界を再生させたわけではなく『時間を切り取った』ということで、永遠に9月以降が訪れない事件でした。
これも古泉の言葉ですが、憂鬱の際にキョンに説明した『人間原理』でいくと、訪れない未来であれば存在しないのと同義であるとも言えなくもなく、未来人からすれば『エンドレスエイト』は回避したいことでしょう。実際、あの時期は未来からの干渉が皆無(朝比奈さんにミッションが何もない)ことからも、規定事項であっても必ずしも必要とは『未来人は』思っていないはずです。(間接的にその後の消失のトリガーと見れなくもないですが)
それに、時間を切り取ることは藤原の目的である『朝比奈みくるを助ける(?)』とは少しズレがあります。ということで、これも却下。
このあと紆余曲折あり(※あとでもう一つ近況ノートに書きます)、ようやくたどり着いたのが、消失で長門が行った世界改変です。そうなんです。ハルヒではなく長門有希が行った出来事なのです。この点が最後に私が引っかかったところでした。
これは『涼宮ハルヒの陰謀』で過去に戻った後、古泉が説明していますね。(スニーカー文庫P.44参照。世界改変を発生させたX時点と、改定された世界を再改変したX´時点があり、この二つのX次点は時間的に重なり、上書きされたが、完全に消えてはいない、というやつです)
藤原からみると、X時点からX´時点への上書きという行為は、『この時間平面から未来へと時空連続体を一気に書き換える』に他ならないのではないか。
そうした場合、その行為の上書き行為の責任者は誰になるのか。キョン目線では実行者は長門であり、それは古泉の言葉を借りれば『縦と横と奥行き』のある事実です。
ただし、藤原達未来人が『規定事項』という物差しで眺めてみた場合、『縦と横』しか見えない(現場に居合わせた朝比奈さん(大)を除く)ことで、涼宮ハルヒ(の力そのもの)がその行為の責任を負うと考えた
のではないかな~というのを閃いたんです。ここまで長々と読んでいただきありがとうございました。そしてすみません、私もこれが絶対的な解答であるという確証が持てていないのが正直なところです。
(この後にもう一つ近況ノートを書きますが、最初は自信満々に『こうだ!』という考えがあったのですが、根拠を探しているうちに違う気がして一から考え直しました…)
ですので、「いや、藤原の『それ』はこっちの意味でしょ」というものがあればぜひ教えてください。本当に知りたいのです。
これを書いている途中で私も考えが変わったので、お見苦しい点が多かったかもしれません。ですが、現時点での私の精一杯の考察でした。また何か考え付いたら書きたいと思います。(これを書くたたき台となった考察はこの後に一応書きます)
お読みいただきありがとうございました。