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読書記録『黄粱夢』

 こんにちは。里場むすびです。
 自作の更新もままならないままとうとう十一月を迎え、このまま年を越してしまいそうな状態でなにを悠長なことを、という声が心の内から聞こえてくるのを無視して、読書記録などを書いてみようかと思います。
 「読書記録」とは申しますが、単に「○○を読んだ」とするだけでは味気ないのである種の感想文や、作品/本を読んで思ったこと等を主として書き綴ってゆく予定です。
 突然こんなことを始めた理由については後ろの方に書いておきますので気になった方にはそちらをお読みいただくとして、では本題に入りましょう。

 今回のテーマは芥川龍之介『黄粱夢』です(https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/88_15189.html)。
 まずはこの作品の前提となった作品については少々触れておきましょう。
 本作は唐代に著された伝奇小説『枕中記』をベースとしています。「『枕中記』とは?」と首を傾げる方もその作品の舞台が「邯鄲《かんたん》」と言われればピンと来るでしょう。そう、あの「邯鄲の夢」でおなじみの「邯鄲」です。
 「邯鄲の夢」とはざっくり言えば、人の栄華ははかないものだ、という意味の故事成語ですね。中には別のものを想像する向きもいらっしゃるかもしれませんが、まあそれならそれで話がはやい。要するにこの『枕中記』とは、道士の呂翁《ろおう》にもらった枕で眠った若者、盧生《ろせい》が夢の中で波瀾万丈な一生を送り、そして目を覚まし、夢を以て世の中の道理を教えてくれた呂翁に感謝する、という話です。ちなみにどのくらい波瀾万丈だったかについては結構具体的に『黄粱夢』中で説明されています。
 さて、前置きはここまで。
 いよいよ『黄粱夢』について書いていきます。
 盧生の死から始まる本作はテンポも描写も良く、流石は芥川、といった具合に小説の参考になる要素も多々あるのですが、まあそれは極めて個人的な感想ですので割愛するとして。
 おそらく、この作品で注目すべき点は盧生の最後の言葉と、それに対する呂翁の反応でしょう。
 本作では呂翁の様子の描写が(数え間違えでなければ)三度出てきます。

  呂翁は、髭《ひげ》を噛みながら、笑《えみ》を噛み殺すような顔をして云った。

   呂翁《ろおう》は、得意らしく髭を撫でた。

 はじめの二つについてはこのとおり、機嫌の良い、好好爺然とした様子が脳裏に浮かぶことでしょう。
 しかしその後、盧生の言葉を受け、呂翁の雰囲気がガラリと変わります。今度は盧生の発言込みで引用します。

  「夢だから、なお生きたいのです。あの夢のさめたように、この夢もさめる時が来るでしょう。その時が来るまでの間、私《わたし》は真に生きたと云えるほど生きたいのです。あなたはそう思いませんか。」
   呂翁は顔をしかめたまま、然《しか》りとも否《いな》とも答えなかった。

 夢だから、なお生きたいのです――という盧生のこの言葉はなんとなく、心の裡に巣喰った厭世的気分を吹き飛ばすような爽快感があって、なんだか前向きになれるような、そんな素敵な言葉なのですが、しかしそんな爽快感をそのままにしておかないのがこの呂翁の反応です。
 盧生の問いに、呂翁は答えず、しかしその答えは明白に態度に現れているものだと思います。あくまで呂翁にとって人生はつまらないもの、夢まぼろし以上の価値を持たないもの、と言うかのような、そんな態度に感じました。無論、盧生があまりにも救いようのない、欲にまみれた馬鹿だったからそんな反応になった、という解釈もあり得るとは思いますが。
 なんにせよ、原典と比較すると盧生の態度が異なる、というのが面白いですね。原典の盧生だったら、(原典が著された時期については唐の時代、以上のことは知りませんが)時代や当時の世情もあってか、そんなことは言わず、盧生はむしろ「この世界は夢やまぼろしのようなものだから、栄華を求めるなど下らない」という立場をとっていたので。
 ……といったところで読書記録は終わりにしたいと思います。
 願わくばこの文章が、後々の自分が読んで羞恥に顔を赤らめるような、不出来なものではありませんように。



 以下にこの読書記録を書いた理由を書いていきます。
 書いてみたくなったから、と言えばそれで済む話なのですが今後の方針を自分自身に刻みつける意味でも、ここでは主要な理由を三つ書きます。

 I.何を読んで何を思ったのかを記録するため
 II.(人に読まれることを前提とした)文章練習のため
 III.交流のため

 一つ目は、説明不要でしょう。文字通りの意味です。ぶっちゃけ、これだけならevernoteやtwitterに書いても良いのですが、そっちの方だと《《続かない》》気がしたのでこっちで書くことにしました。どうも自分は人の目を意識すると続けるタイプのようです。
 二つ目は、普段から人に読ませる文章をなあなあで書いてきた自分の未熟さが厭になったのでこれを好機として文章練習に励んでみようかと思った次第です。最低限、推敲をする習慣くらいは付けようかと。
 三つ目は、人とコミュニケーションをとるのがとにかく苦手なのをなんとかしたいと思っているという、それだけのことです。自分はどうも、相手の顔が見えないこのネット上でのやりとりが現実《リアル》でのそれよりもずっと、苦手なようです。実際、応援コメントや質問をいただいた際にもどう返したらよいのやらと迷って迷って混乱して、ただ一言二言返すだけでも良かったはずなのに未だに返せず、もはや今となっては「今更」という言葉が頭にチラつきどうしてよいやらと益々混乱してしまい、とにかく申し訳なさでいっぱいになります。ですので、今後人気作家なった時のためにも、ネット上でのやりとりに少しでも慣れておきたいと思った次第です。
 未熟ではありますが、どうかよろしくお願いいたします。

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