オムツ付き老犬ミニチュアダックスフントを滋賀県奥琵琶湖に届けるため、一匹と1人が出立準備に取り掛かる。
荷物は玄関にまとめていると言い残して早々に我が家の2代目主人は出勤し、私はそれらをトヨタのコンパクトカーに収納。餌のドックフードがダイニングルームのフローリングに置かれていたので気にはなったが、犬の荷物は全て玄関に用意していると告げられたので、余計なことをして後で問題になることを警戒した私は、普通なら持っていきそうなドックフードを放置して車に乗り込んだ。
まあ人間関係が険悪だとこの程度の意思疎通も困難になるのは我が家だけではないだろう、実際ドックフードは滋賀県に住む犬の飼い主が購入した物で、案の定私は飼い主の老婦人に小言を言われる羽目に。
未来の小難を予測しつつもそれはそれとして、大好きな久しぶりのドライブを楽しむためエンジンキーを回す。走行中は私と犬だけなので室内空間を自分流にセッティング、AV機器の音量や選択も自由にできるのが気楽だ。
犬には申し訳ないが後部座席に乗せシートの上に犬用のクッションを置いて我慢してもらう。犬好きなら断然助手席だろうが以前の近況ノートでも語ったように、私は犬に対する愛情は持ち合わせてない、あるのは自分の境遇と重ね合わせた同情だけなので、助手席でうろちょろされたら運転に支障もきたすと判断したので視界から消えてもらう。
冷たい人間だと思うかも知れないがそもそもペットと言えど人間以外の動物だ、犬や猫など人間に愛玩されるペット以外の命はどうでも良くて、人に飼われる生き物だけに愛情を注ぐ、なんて器用な真似はできない。子供の頃からそれは変わらない、子犬や子猫だけじゃなく成犬や成猫も野良を拾っては家に持って帰っていたが、それは愛情よりも哀れに思う同情心が大半だった。これも性格だから仕方ない、命の格差について考えたところで解決される方法を私は知らないが、だからと言って世間のペットブームに納得できない自分もいる。
そんな思いと関係なく命である以上溺愛もしない代わりに粗末にも扱わない、それが私の心情だ。無難に世話をすることだけなら人なみ以上にこなせると勝手に考えているので、犬もそれをよく理解し私にとる態度は微妙。これはこれで上々の関係だと認識している、人それぞれってことでね。
長々と生き物について語ったが話のメインは犬の強制送還に乗じたドライブ、午前8時過ぎに用意を整え手狭なカーポートから出るためアクセルをゆっくりを踏み込み、前方の自称町会長の家屋にぶつからないようハンドルを右に切った。
犬は最初ソワソワしていたがすぐに大人しくなりクッションの上でダンゴムシみたいに丸くなる。
その時スピーカーから流れてきたのはワンセグのワイドショー的情報番組の音声、走行中テレビを見れないモードに設定してあったのでカーナビの画面は地図と矢印を示していた。
司会の落語家もどきの声色を流し聴きながら、大過なくいい感じのスタートをキレたと内心高揚感に包まれる。