今は閉店したスーパーの駐車場に捨てられていたミニチュアダックスフントを血縁関係者が拾ってきて、育てるのが困難なため滋賀県の親戚の家へ島流し。
最初は老婦人も不平を言っていたが基本的に犬好きなこととダックスも人懐っこい性格が幸いして溺愛されるようになる。
特に旦那は我が子のように可愛がり死後の年金まで犬のために使うと遺言したぐらいだった。
しかし時はたち旦那は亡くなり婦人も高齢のため世話をするのが難しくなり、困窮する大阪の我が家に舞い戻ってくる。
この家の主人は自分ではないのでダックスは主人の方にべったりで、仕事や所用で外出しようものなら1日中吠え続ける。隣近所が離れた田舎町と違ってここは住宅密集地、吠えるたびに気を使うが暴力を振るって躾けるのはナンセンスだと思い、鳴き始めたら小屋のゲージに放り込む、するとダックスも察したらしくしばらく黙る。時間が経つとまた鳴くので放り込むを繰り返す、尿意が近いので3時間おきぐらいに散歩にいかなければ漏らす、1度炊事場で漏らされたのでトイレ散歩は必須の行事となる。
暇な人間でないと続けられない芸当だなと、感情を殺して黙々と主人から要求されたノルマだけこなしながら老犬の世話を続ける日々。
結局この犬も1度捨てられてまた捨てられた、そしてどうにもならないこの家にやってきた、残された寿命がなくなるまでの捨て場として。
人生で何1つ成し得なかった自分の最後の仕事がこの犬を看取ることかもしれない、そう思いながら淡々と世話をする。愛情は感じない、我が身と重ねた同情の類だ。
これも運命、犬にとっても自分にとっても。