皆が幸せになる。
この言葉に何を思うだろう。
発展し続ける世界の常識に当てはめるなら、皆が裕福になり、豊かになり、面白可笑しく過ごすことを指すのだろうか。
少なくとも深川の周りでは得することに皆が必死だ。
少しでも人目につく農産物の出荷スペースを陣取って、そこが脅かされそうになれば罵声をあげて守ろうとする。
得すること、利益を出すこと、前に進むこと
それが是とされる世界は、過ちや失敗や罪を置き去りにして、亡き者にして、全速力で進んでいく。
それについて行けない優しい人、争いを好まない人、譲る人も置き去りにして進んでいく。
でも
深川はそれを前進とは思わない。
過去や過ちからの、逃避だと、深川は思う。
皆が幸せになるために必要なのは、皆が得することではない。
それは不可能だから。
皆が幸せになるために必要なのは、損を分け合うこと、涙を分け合うことだと、深川は思う。
誰かに大損や重荷や負担や不都合を押し付ける。
だから不幸な人が生まれてしまう。
皆でちょっとずつ不幸を分け合えば、誰かが特別不幸にはなりにくい。
泣く者とともに泣け
聖書の言葉である。
人が持つパーソナルな悲しみや不幸を完全に理解することは出来ない。
寄り添うことが出来れば多分上出来。
その人の悲しみは、その人のものだ。
でも社会が押し付ける損や重荷は違う。
皆で分け合える。
そういう涙は分け合えばいい。
それが出来る集団は強い。
崩れない。壊れない。