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涙を分け合う

皆が幸せになる。

この言葉に何を思うだろう。

発展し続ける世界の常識に当てはめるなら、皆が裕福になり、豊かになり、面白可笑しく過ごすことを指すのだろうか。


少なくとも深川の周りでは得することに皆が必死だ。

少しでも人目につく農産物の出荷スペースを陣取って、そこが脅かされそうになれば罵声をあげて守ろうとする。


得すること、利益を出すこと、前に進むこと

それが是とされる世界は、過ちや失敗や罪を置き去りにして、亡き者にして、全速力で進んでいく。

それについて行けない優しい人、争いを好まない人、譲る人も置き去りにして進んでいく。


でも


深川はそれを前進とは思わない。

過去や過ちからの、逃避だと、深川は思う。


皆が幸せになるために必要なのは、皆が得することではない。

それは不可能だから。

皆が幸せになるために必要なのは、損を分け合うこと、涙を分け合うことだと、深川は思う。

誰かに大損や重荷や負担や不都合を押し付ける。

だから不幸な人が生まれてしまう。

皆でちょっとずつ不幸を分け合えば、誰かが特別不幸にはなりにくい。


泣く者とともに泣け

聖書の言葉である。


人が持つパーソナルな悲しみや不幸を完全に理解することは出来ない。

寄り添うことが出来れば多分上出来。

その人の悲しみは、その人のものだ。



でも社会が押し付ける損や重荷は違う。

皆で分け合える。

そういう涙は分け合えばいい。

それが出来る集団は強い。

崩れない。壊れない。

2件のコメント

  • 自分が損しなくても他人が得をするのが許せないのが日本人には多いと最近読みました

  • @rnaribose様
    そこに注目されるところが、なんとも奥ゆかしいです(´・ω・`)

    というのも「泣く者と共に泣け」の前には「喜ぶ者と共に喜べ」という言葉が来ます。

    他者の幸せや、全体の利益を自分のことのように喜べる心を持たなきゃですね。
    それもこの国が失ってしまった愛の一つと思います。
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