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宇野昌磨と前世で親友だったとか言われてもねぇ。

だから今世でも縁があるとか言われてもねぇ。
もしそうなら友として【ひぐらしのなく頃に】をオススメしとくよ。他はなんだろう? フィギュアスケート全く興味ないからオレ、そもそも宇野さんに全く親近感ない…

前世にてオレは原爆の直撃で死んでるらしいから、宇野昌磨とは前々世とかもっと過去での繋がりらしいのよ。 その頃の宇野昌磨が徳川家康でオレが天海らしのだけど、当時の平均寿命考慮したらオレ3倍くらい生きてたら、その埋めあわせに原爆で早死にしたのかも。いつ死んだかまでは判らんけど


前世理論でいうと、徳川家康と天海が出会うのは晩年だったから、今世関わる事があるとしても、晩年頃になってて、その頃きっと宇野昌磨を支えたオバサン世代はあの世に行ってるからキャーキャー騒がれてない。そんなタイミングで友達になるという宿命にどんな意義があるのだろうか…

前世理論的にいうと俺と宇野昌磨と知り合うというのは、晩年として寿命尽きる頃だろうから 、今知り合いになるとお互いに死の宣告受けた様なものだから遠慮しときたい。

2件のコメント

  • 今世はネットの普及により人間の縁は時間を超越するかも。要するに今オレが宇野昌磨に出会うことなく死んだとしても、オレは宇野昌磨を知っているから縁自体は既に成立している。つまり俺の死後、ネット上にの残っているオレのテキストを宇野昌磨が読んでいれば、時間を超越した状態で宇野昌磨にっとっての俺への出会いは成立していて前世の理論は成立しうる
  • オリジナルの前世論だが、たとえば親子関係の縁だと、過去の世界でも親子だけど過去の世界では一緒に暮らしてないいない等の縁薄関係性なのに今世は親子として長い時を一緒に過ごしていた場合、その整合性を合わせる為に縁がある様に見えて実は縁は薄い(親子の心の距離は遠い等)
    のような仕組みになっているかも。
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