筆者の悪い癖について、正義マンであるという部分があります。
学生時代、必ずどっか暴力性がおかしい奴っているじゃないですか。
筆者は不良にも引きこもりにも友人はいるのですが、「暴力性がおかしいやつ」とだけは、常人よりもずっと相容れないところがありました。
よく思い出すエピソードがあります。
廊下で「お前キモいんだよ」と喧嘩を売ってきたので、
「初対面の人間にキモいっていう奴の方がよっぽどキモいと思うが?」
とオタク的レスバをし、プチ戦争が勃発したことです。
最終的に中学卒業間際でプチ殴り合いになって、受験が取り消しになりそうだったのはいい思い出です笑
僕より運動神経がいいダブルスのペアが助けてくれたんですよね
ってか。本物の正義マンはそいつだったわ。
……。
…………。
ここで思うのは読者のことです。
この正義マンな部分に関して。
「自分の作風としての正義マンがあることは、小説の幅を狭めているのではないか?」
「一般的な感性からかけ離れているのではないか?」
と最近悩むようになりました。
元々銀英伝と十二国記のパチモンを目指して、なろうでゴミpvを打ち出して爆死してきたタイプなので、
今は「読まれるために何をするべきか?」
を詰めていきたいんですよね。
悩んだ結果、僕が出した結論は
「ハーレムを、徹底的にやればいいのでは?」
というものです。
【俺だけリミットオーバー】はまだアクが強く、なろう系、ネット小説のテンプレとは少し違うように思えます。
【呼吸使い】は、流行りの要素をとりいれつつも、実は◯◯されていたのは主人公だったという捻りがありすぎる展開になってしまいました。
自分のアクをどうするか。
これはもう、
「ハーレムしかないな」と。
ハーレムで正義マンが滲む余地ってなくない?
というわけで、次回作はハーレムにしようと思いました。
限界までハーレム!
なお精力は無尽蔵にあるものとする。
深夜だから
ええのや。
おやすみなさい!!