こんにちは。
加須 千花です。
壱単位さま著、「カクヨム荘に、ようこそ」
https://kakuyomu.jp/works/16818023213346055856 の二次創作を、壱単位さまと読者の皆様に捧げます。
さあ、3900文字ありますぜ!
でも中身は単純な道筋だから、2000文字くらいの感覚で読めちゃいますぜ!(おおきなサバ読み)
では、奈良時代へダイブ!
* * *
『大川さまとぷるぷる』
丙午《ひのえうま》の年。
(766年、天平神護二年)
上毛野君大川、十六歳。
夜。
かみつけのの君の屋敷。
己の部屋の前の庭で、一人、舞う。
蘭陵王の舞。
ただ、衣装や、面は、ない。
白い夜着が、かがり火に照らされる。
手に持つ桴《ばち》、細い棒状の、はしに紅の房がついた物だけが、蘭陵王の装いであった。
身体は軽やかに撥ね、しなやかに沈む。地をけずるような、すり足。
腰まである、絹糸のような、まっすぐな黒髪が、さらりさらりと揺れる。
大川は、花顔雪膚《かがんせっぷ》の、世にも稀な美貌。
冬の寒空に吐息が白く散り、若いおのこの色香が、伽羅の香りとともに、あたりに充満する。
おのこは、昼間、惣社《そうしゃ》神社に詣でてきた。この年は、疫がはやり、大勢が黄泉渡りした。
父親から、「上毛野君の跡継ぎとして、神へ祈りを捧げて来い。」と命じられたからである。
(えやみ、とは何なのであろうな……。)
蘭陵王を舞いながら、大川の思考は深く沈んでゆく。
(秋津島では、えやみは、西から、大陸から渡ってくるのだ。)
神社に詣でる途中、郷の人々が、木の板に、人の目には見えぬえやみを空想し、墨で描き、川に流すのを見た。
「えやみ去りませ。」
と口々に言いながら……。
その木の板には、鬼のような顔が描かれていた。
なるほど、えやみとは、鬼のような顔をしているのかもしれない………。
(このように、おおきく、えやみが流行して……。秋津島にあもりましけむ八百万の神々は何をなさっておいでなのだ……。)
大川は、西からやってきた異国のえやみが恐ろしい大男となり、八百万の神々に掴みかかり、両者は戦い続け、八百万の神々をねじ伏せかけているのでは、などと考えてしまう……。
そうでなくば、なぜ、こんなに大勢、えやみで人が死んだか、説明がつかないのではないか。
ひょっとしたら、今も、人の目には見えぬ神の国では、海の向こうから侵略せんとするえやみと、八百万の神々が戦い続けているのかもしれない。
ふと、集中して舞う大川の意識のはしに、
───!
声にならぬ悲鳴が聞こえた。
(なんだ?)
まわりに人はいない。大川一人だけだ。だが、暗きヤブを見ると、ヤブの下に、何かがうごめいた。
夜の闇より黒い、大きなかはほり(コウモリ)が、何かを足にとらえ、地面にこすりつけている。
その足にとらえられたものは、黒いような、透明のような、丸いような、平たいような、不思議な形をしていた。目も、鼻も、口もない。
大きさは、片手におさまるくらいの小ささ。
(何、あれ?)
それは、かはほりの足の下で、ぶるぶる震え、もがき、あちこち傷があり、傷から、しゅうしゅう、と赤い霧のようなものを空中に霧散させている。
いやだいやだ、ともがいている。
助けて、と震えている。
そのように、大川には見えた。
かはほりが、ギッ、ギッ、と笑い声のような声をあげ、足でとらえた獲物を、びたん、びたん、と地面に打ち付けはじめた。
弱らせようというのである。
「……やめろっ!」
不快感がこみあげ、震える弱きものを助けようと、大川はかはほりを桴《ばち》で打った。
……いや、打とうとして、その大きな翼にはじかれた。
(えっ?)
これはかはほりではない……。
かはほりに見えて、非なるもの。
その証拠に、かはほりは、人を恐れず、シャアアアッ、と醜い口を大川に向けて、威嚇した。
邪魔をするな、去れ、というように。
(初めて見た。……これが哭乃《もの》(あやかし)か。)
大川はむらむらと怒りが湧き、唇を噛み締め、ぷっ、唇を噛み切った。わずかに垂れた血が、美男の唇を紅く彩る。
(ここをどこだと心得る! 上毛野君が御祖《みおや》から守ってきた、かみつけのの君の屋敷内だぞ! 哭乃であろうと、勝手を許してなるものか!)
大川は目を細め、かはほりを見据える。
その口から、昼間、巫覡《ふげき》から聞いた祝詞が、今まで祭りのたびに幾度も聞いてきた祝詞が、自然とでてきた。
「きりきり せんざいよう じんさいよう ひゃくしょうしんきゅう じょうじょうげ や。
あかぼしは 明星《みょうじょう》は あかぼしは 明星は くはや ここなりや。」
びくり、とかはほりが身体を揺らし、驚いたように目を見開いた。
(……祝詞が通じる。やはり、哭乃《もの》。通常の攻撃では通じまい。)
大川は、唇を紅く濡らす血を、桴《ばち》で、すう、とぬぐった。
「上毛野君大川がかしこみかしこみ申す、我が祖、豊城入彦命《とよきいりひこのみこと》よ、その子、倭日向武日向彦八綱田《やまとひむかたけひむかひこやつなた》よ、上毛野君の血を奉る。異形を焼き打つ力を我に与え給へ!」
大川は鋭く打ち込み、血の染みた桴でばあん、とかはほりを打った。
今度はきいたようで、大川が打った翼が、じゅう、と焼けた。
ギギャ───ッ! と鳴いたかはほりは、獲物を手放し、空高く飛んでいった。
……もう、月影に遠く、小さく、点となり、夜空に完全に消えた。
(ふう……。)
「上毛野君大川がかしこみかしこみ申す、我が祖、豊城入彦命よ、その子、倭日向武日向彦八綱田よ、感謝いたします。」
大川は祈りを捧げたあと、草の生い茂った地面にぐったりと動かなくなった、丸いような平べったいような、ちょうど片手の大きさのモノを見た。
やはり色は……よくわからない。
これも哭乃《もの》(あやかし)なのだろうか?
(ふむ……?)
大川は、桴で、ちょん、とそれをつついて見た。
それは、ぶるっ、と大きく震え、小さくなった。まるで、やめてよう……、と言っているかのようであった。
あちこちの細かい傷から、しゅう、しゅう、赤い霧が立ちのぼっている様子もあいまって、哀れである。
「良し良し、つついて悪かったね。」
大川は苦笑し、それを親指と人差し指で、ちょい、とつまみあげてみた。
つまめた。
左の手のひらに、ぽとり、と落としてみる。
ひんやり、冷たい。
水のような、柔らかい団子のような……、上手く表現できない、とろん、とした感触だ。
それは、大川の手のひらのうえで、怯えたように、ぷるぷる震えた。
「そのように怯えるものではない。おいで。私の部屋で今日は休んでいくが良い。怖かったね?」
そう、大川が微笑むと、蓮の花が咲いたような幽玄の美しさなのであった。
そのぷるぷるは、細かく震えながらも、にゅっ、と伸びた。
大川の口元に背伸びをし、だが、遠慮したように、空中でとどまる。唇に触れて良いものかどうか、迷っているようだ。
「うん? ここに触りたいの?」
にゅっ、と伸びた先っぽが、こく、と頷いた。
(ここは頭だったのか?)
その仕草が可愛らしくて、大川はくすっ、と笑った。
「いいよ。」
なんとなく、目をつむってしまう。
唇に、ちいさな、ひやりと柔らかい感触が触れた。
さきほど、歯で噛み切ったところを、ぷるりとなぞる。
(おや……。)
すると、傷口から痛みがひいた。右手で唇をたしかめると、完全に傷口が消えている。
「治してくれたのか。はあ、すごいものだな。ありがとう。」
感謝すると、そのぷるぷるは、嬉しそうに、ぽん、と手のひらの上をはねた。そして、そのぷるぷるの傷口も、しゅう、と小さくなった。
(不思議なやつ……。)
大川は、面白い拾い物をした、と思いながら、部屋に戻る。机の上、玉櫛笥《たまくしげ》(化粧箱)の前に、ぽてっと置くと、それは、ぽいん、ぽいん、と机を楽しそうに跳ねた。
そして、一つの朱色の袋の前で止まった。
大川の愛用する、伽羅の匂い袋だ。
そのぷるぷるは、匂い袋にぺたぺたと触り続けた。
「欲しいのかい?」
大川がきくと、こちらに、にゅっ、と伸びたぷるぷるは、先端を、こくっ、と頷かせる。
「良いよ。」
と大川があっさり言うと、ぷるぷるは、にょーん、と平べったく、大きくなって、朱色の匂い袋を完全に包みこんだ。
「わっ!」
一瞬のことだった。あっけにとられる大川の前で、ぷるぷるは、すぐにもとの手のひらの大きさに戻り、匂い袋を飲み込んで、匂い袋は完全にどこかにいってしまった。
そして、そのぷるぷるから、完全に傷が消えて、全部が、つるん、とした表面になった。
そのぷるぷるは、どうだ、と言わんばかりに、胸をはった……ように見えた。
「不思議な奴だなあ。傷が治ったなら、良かったよ。」
大川が穏やかに言うと、そのぷるぷるは、ぽいーん、ぽいーん、とさっきより高く飛び跳ねた。喜んでいるらしい。
そして、えいやっ、と弾みをつけて、大川にむけて飛び跳ねた。
「おっと。」
大川は手のひらで受け止めた。
「はは、可愛い奴だなあ。私はもう眠るから、おまえは好きなところにおいで。私の布団は柔らかいよ。」
もともと、人が寝る真夜中、起き出して、蘭陵王を一人で舞っていた大川である。舞い終わったら、さっさと寝るのである。大川は、ぷるぷるを枕元に置き、くううっ、と伸びをして、寝床に入り、
「おやすみ。……これは夢かな? だってなんだか、信じられない出来事だ……。」
と、さっさと眠ってしまった。
そのぷるぷるは、そっと大川のそばに近寄り、大川の寝顔の前でしばらくどうしようか迷っていたが、するん、とその胸元に滑りこんだ。ひんやり冷たかったそれは、大川の人肌で、やんわりと温まる。
翌朝。
「……やっぱり、夢か。」
そのぷるぷるは消えていた。
ただ、玉櫛笥《たまくしげ》から朱色の匂い袋が消えていたし、桴には大川の血のあとがついたままだった。
「夢、だったのかな……?」
あのぷるぷるは、元気になってこの部屋を去り、遠くに、人の目には見えない国に行ったのであろう……。
長く、その不思議な出来事が、忘れられなかった大川である。
───完───