フリーランスという立場のため、20代の頃は『仕事第一』『仕事最優先』みたいなところがありまして。
スケジュール帳が先々の予定で埋まっていたりすると「あぁ、需要のある存在で良かった」と思ったり、ひとつ仕事が終わると「もう要らないと言われたらどうしよう」と不安に駆られたものですが、年を重ねた今、自分の仕事に対する考え方が変わったなと感じます。
いや、勿論仕事は大事なんですが、元々ある仕事量の枠の中において【使われる・使われない】でメンタルを左右されるぐらいなら、今の仕事内容にこだわらず自分のやりたいことや自分を取り巻く状況の変化にひょいっと乗っかって、その時の自分に出来ることだったり能力値を上げる方が楽しいなというのが今の状態です。
何て言ったらいいんでしょう、親からお小遣いをもらっている状態は家庭というひとつの国だけでお金が親から子に流れているだけなので総量は変わらないけど、家から出てアルバイト先という他国から賃金をもらえば外貨を引っ張ってくることになるので総量は増える、みたいな。
あるいは、城の中だけでぬくぬく育っていた人間が一歩外に出ることで、城内では得られなかった刺激を受ける、みたいな。
元々していた仕事だけでは積めなかった経験値を別のところで積み、それを元来の作業にフィードバック出来ればベストだなと、何となく思ってます。
持っている話題の幅は多いに越したことはないですしね。
資格の勉強をするという手もない訳ではないのですが、一昨年ぐらいにヒトに言われて宅建の勉強を試しに半年ぐらい続けたものの、「やっぱ本気で興味のないことは義務感しかないから面白くないな」と……。
私が不動産にもっと興味を持てたら良かったのに……。
(とはいえ、そこで得た知識のお陰で公示地価のような不動産関連の時事ニュースなんかを読み解きやすくなったのは良かったなと)
そんな訳で『文章を書く』ということは全部共通してるんですが、本業以外のことを色々やりながら自分の中の枠を広げているところです。
いくつになっても新しい経験が出来るって楽しいなぁ。
そんなこんなで、遅ればせながらいただいているレビューコメントへのお礼を綴らせていただきます!
亀並みの遅さでのお返事となってしまい、申し訳ありません……!
☆岩名理子様
https://kakuyomu.jp/users/Caudimordax『祝いの席に現れる。
対比の不穏さがたまらない』
1年以上も前に公開した作品であるにも関わらず、今もちょこちょことお読みいただけているお話である『祝男』。
何かをきっかけに私の存在を知ってくださり、わざわざプロフィールを開かない限りこの話には辿り着けないと思いますので大変ありがたい限りです(泣)。
『祝い』と『呪い』が似ているというのはきっと多くの方が感じてらっしゃることだと思います。
一見真逆ではありますが、念の方向性が違うだけで根っこの部分の質としては同じものだと私は認識してまして。
『好き』の気持ちも行き過ぎると『何で気付いてくれないの』とか『私がいるのにどうしてよそに目を向けるの』とか簡単に憎悪に変わった挙句、妬んだり恨んだりして「『好き』の気持ちが通じ合った時の嬉しさや純粋な喜びはどこいった?」と思ってしまうんですよね。
「私の気持ちがこんなに黒く変えられたのはアイツのせいだから絶対許さない」と他者に責任を押し付けるなんて、これを呪いと言わずして何というんだと。
ヒトの念というのは怖いもんだなぁとつくづく思います。
出来る限り恨みを買ったりしないでゆるっとかわしながら生きていたいのですが、社会生活を営んでいる以上それは難しいし、とんでもない場外から突然飛んできたりもするのでどうにもならないことも……。
祝いの言葉や拍手の中に呪いが紛れていないとも限らないと考えたら、ハレの日のような非日常こそ心を落ち着かせて、日常以上に日常を装った方がいいのかもしれないなぁと思っています……!
私、岩名さまの作品で最初に拝読したのが『【短編ホラー】青きのこ』でして、カクヨムさんのトップページにピックアップされていたのを見掛けて作品をフォローさせていただいたのを覚えています。
1500字弱なのですぐに読める手軽さの中に、得体のしれない謎のキノコがじわじわと胞子を広げていく感じが、大好きな伊藤潤二さんの漫画『黴(カビ)』を彷彿とさせて「胞子、いやーーーー!」となったのでした。
私、どうにもキノコの傘の裏に見えるヒダヒダした部分が苦手なんです……。
ゆえに、エノキは好きだけどシイタケはダメです……。
岩名さまはホラーのほかにも色々なジャンルの作品を書かれてますので、玉手箱みたいな作品群は拝見しているだけでワクワクしますよ!
改めて、この度は嬉しいレビューコメントをありがとうございました!