~破4~
・平日の登校日にしては遅めの帰宅を果たした輪花はすぐさま自室に引きこもり、気がつけば制服のまま、ベッドの上で朝を迎えていた。帰った事務所に明かりはなく、スウィンドラーの姿も見えなかったが、それらを気にする余裕さえなかったのである。
・スウィンドラーが真白の仕事人となったのは幼なじみを失ったのが理由だということ、まるで幼なじみの仇討ちでもするかのように事故の関係者らへの懲悪を続けているらしいこと、そしてその関係者に須佐美の人間たる輪花自身も含まれている可能性があること――やっとの思いで混沌を脱し、貧困にあえぎながらも生きようとしていたところに、渡りに船のごとく現れた仕事人によって居場所を得られたというのに、実際は別の形を取った第二の混沌へと身を投じていたことに気づかされたとあっては、とても落ち着いてなどいられない。
そこで輪花は目覚めて早々に、自分なりに思考を走らせる。いかようにして我が身と平穏な日常を守るべきかを
・まず須佐美の人間とはいえ事故当時は生まれてすらいない輪花に事故とのかかわりはない。スウィンドラーに良識があればこの事実をもって懲悪の矛先を輪花に向けることは控えるだろうが、なお懲悪の対象と定め続けるのであればさらなる事実をもって敵でないことをアピールする必要がある。
もっとも確実なのは本来の懲悪対象である当時の関係者への懲悪をアシストすることだ。ただし、それは輪花にとって実の父親への反逆であり、極道としての須佐美一家への利敵行為にほかならない。そんなことをすれば当主の娘といえど免罪はままならず、し損じればそれこそ我が身の危機となる――ここまで考えてから四面楚歌も同然の状況に置かれてしまったのかと悟り、輪花はたまらず嘆息する
・四面楚歌――そんなワードからふと、輪花は思い直す。身辺調査のために、形だけとはいえスウィンドラーの仲間になりたがっている男子高校生こと副会長の錬磨に限っては、現時点では敵でも味方でもないビジネスライクな取引相手であることを
・そうして輪花はいっそう気を重くさせる。事ここに至っては媚びへつらってでも先輩男子をこの混沌に引きずり込み、なし崩しに味方につけるほかないと、そう考えたためだ。たとえそれが恩義のある真白の仕事人へのさらなる裏切りになるとしても……
・真白市内にあるとある会員制のショットバーにて、およそ店の雰囲気には似つかわしくない少年たるコウキがカウンターのマスターへと目配せする。するとマスターはコウキの意図を察したのか、あるいはあらかじめそうするよう先客に命じられていたのか、ともあれすぐに視線をカウンター奥のドアへと向け、入室するよう目配せする
・その合図を案内と受け取ったコウキはモーニングコーヒーのごとく昼から飲み交わす男衆に軽蔑の視線を送りつつ、そのドアを開け、中へと入る
・裸電球の暖色が照らす室内を見回すコウキ。少年の入室に気づいたのか、すでに酒樽であろう樽の上に腰かけるスウィンドラーがあくび交じりにコウキへと声をかける(ここでスウィンドラーが目の下にかすかなクマを浮かべていることを描写する)。
そこでコウキはいの一番に「気安く声をかけるな」などと牽制しつつ、ランドセルを適当な丸椅子に置き、空の酒樽をどかした下にあった床下収納を開け、そこから布包みの木箱を次から次へと床に広げていく
・コウキは取り出した木箱のうちひとつを開け、中をしたためる。そこには紙箱に収められた狙撃銃の口径に合致した実弾がさびひとつなく整然と並んでいてた。ざっと状態を確かめたコウキはそこで満足し、こぼれないよう実弾入りの紙箱をランドセルの奥へと詰め込んでいく。
ここでこのショットバーは表向きこそ会員制の酒場だが、裏では日本において一般人には手が出せない物品、とりわけ実銃などの火器類を取り扱っている非合法のガンショップであること、仕事柄コウキはここで銃や弾の補充をしていること、品揃えや信頼性こそ文句なしだが、コウキにとっては鼻になじまぬ酒臭さこそがこの店唯一のウィークポイントであること、などを説明する
・コウキが補充作業をする中、スウィンドラーは今回の仕事だけど、などと切り出し、とある要人の暗殺を頼みたいという旨をコウキに話す。コウキはわざわざ仕事の話をするためにこのような場所を指定したのだから大きな仕事になるのだろう、などと思いつつ、続きを促す
・次いでスウィンドラーは「桜を愛でる会は知っているかい?」などとコウキに尋ねる。コウキは毎年花見が見頃を迎えるシーズンに真白市で開かれるあれだろう、などと答える。
ここで桜を愛でる会についてコウキが知る範囲で簡単な説明をする。時の総理大臣を筆頭に、政治家、真白市長、そして近年における各界の功績者、功労者らが一堂に会する催しであること、表向きの目的が各界の功績者らの慰労にあること、一般の参加はできないが、警備ラインの前までならほぼ誰でも遠巻きに観覧できること、などを説明する
・コウキは冗談交じりに世を憂うあまり時の総理をも悪だと断ずるか、などと尋ねるも、スウィンドラーはそれこそ自分の関知するところではない、などと返しつつ、しかして実情として、「桜を愛でる会」は真白を裏で支配しようとする繚乱会なる組織が主催しており、今回のターゲットはその繚乱会の御三家とも呼べる人物がひとり、須佐美一家の当主こと須佐美竜苑だと語る
・そこでコウキは驚きを見せる。ここでコウキが須佐美一家について初耳であることを描写する
・コウキはターゲットの名前もとい名字から、どうりで事務所でなくこんな場所で仕事の話をしたのか、と得心する(須佐美の人間を殺めるのだから、事務所でもし輪花に聞かれでもしたら面倒になると容易に想像できるため)。対してスウィンドラーは、欲を言えば繚乱会の御三家全員を始末したいところだけど、残るふたりはまず表舞台には姿を見せないだろうから今回は竜苑の暗殺のみをひとまずの目標とする、とコウキに仕事の方針を語る
・聞くまでもないかもしれないが、などと前置きしつつ、コウキはその須佐美一家、および当主様はいったいどれだけの悪行を働いてきたんだ? などと尋ねる。するとスウィンドラーは珍しく少しだけ感情的な声色で、市内の自然環境保護に長年尽力している評判のよい地元の名士だよ、などと述べ、次いで「つまるところ、人命と草花の重みさえわからない差別者《フィランソロピスト》さ」などと竜苑の評をまとめる
・コウキはスウィンドラーの言を適当に聞きつつ湧き上がる疑問と向き合う。
スウィンドラーを通じて始めたこちら側の仕事のキャリアは一年に達するか達しないか程度のものだが、「真白を裏で支配しようとする」組織である繚乱会に属する須佐美一家の当主などという、聞くだけでそうとわかる大悪的存在を、コウキはここで初めて認知した。必然、裏の顔が露呈しないよう巧妙に事を進められるレベルの統率力を誇る油断ならない相手だといえよう。
そう思ってから、今回の仕事がこれまで経験してきたものの中でも五本の指に入りうる難事になるだろう、とコウキは気を引き締めながら「引き受けよう」と答える代わりに仕事の計画ないしは作戦についてスウィンドラーに言及する
・対してスウィンドラーは、まず「桜を愛でる会」の会場は例年通り角山公園(かどやまこうえん)であること、会の進行によってターゲット含む参加者は公園から石段を上って真白神宮へと向かうこと、列になって石段を上がるためターゲットの狙撃はその石段を登る間か登りきったタイミングが妥当であろうこと、狙撃ポイントは公園と神宮を敷地内に擁した角山の山頂付近が望ましいであろうこと、などと説明する
・それからコウキに対してスウィンドラーは、傭兵であれば自然に溶け込んで対象を撃ち抜くなんて簡単だろう? などと一言付け足す。言われたコウキはもちろんその発言を肯定してみせる。ここでコウキは狙撃ポイントが山林となれば相応の準備をしなければならないだろう、と考える
・コウキは場所がわかった以上、ここで作戦を詰めるより現地を視察するのが先決だ、としてスウィンドラーとの仕事の話を切り上げようとする。するとスウィンドラーは寸時、躊躇するようなしぐさを見せた後、コウキに対してあれからオウレットとは交流を深めているのかい? などと尋ねる
・対してコウキは、いまいち判然としない質問の意図にいぶかしむものの、自分はさておきミツキとはそれなりに付き合いがあるみたいだ、などと応じる。ここでコウキはミツキとの記憶や体験のことごとくを共有できるわけではない(というか基本的にミツキの記憶と体験はわからない)ということを説明する
・それを聞いたスウィンドラーはなにやら言葉を継ごうとするも、なにを思ったのか、そうか、などと歯切れの悪い言葉で了解する
・おそらく輪花と同じであろう須佐美の人間を始末するのはエゴイストといえども気がとがめるか、などとコウキはスウィンドラーをからかってみせる。しかしスウィンドラーは気味が悪いぐらいに珍しく、気に障るような皮肉めいた返事もせずに、「いいや、まさか」「気にしないでくれ」などと言って場の空気を紛らそうとする
・しかして、せっかくだから少し飲んでから帰ろうかな、などとつぶやくスウィンドラーにコウキは嫌悪感を抱きつつ、弾薬の補充と仕事の話という目的を果たしたとして身をひるがえし、ドアを開けてその場をあとにする
・ハウステンボスもかくやの大庭と、それをぐるりと囲う回廊。そこに設けられた円形の小空間にて、大理石で作られたいかにも高級そうなテーブルと椅子で須佐美一家の当主、須佐美竜苑は鮮やかな紅茶の香気に満悦の体を見せる。しかして竜苑はウェッジウッドのダージリンでは不満だったか、などと女(烏野の傀儡師)の機嫌を伺う
・対して女は湯茶の接待を所望したつもりはない、などとすげなく言葉を返す。すると竜苑は感慨無量の対極とでも言い表せそうな冷淡な態度で「望みに応じたのでなく、支配者にふさわしき威を振るったまでのこと」などとやり返す。ここで女は「支配者」というワードに対し、だろうな、と胸中でつぶやく(繚乱会の御三家がふたりで密会するべく単身で須佐美邸へと赴いたにもかかわらず、実際には執事然とした目つきの鋭い青年が竜苑のそばに着いており、およそ対等ではなかったため。
また、その描写に際して女は「忠臣と名高きかの執事を切り捨てた男が、よき支配者気取りか」などと竜苑をくさすが、そばにいた青年執事がその評を全面的に否定する。この描写によってかつて須佐美一家に尽くしていた執事がいたこと、その執事と今の執事は別であることを(「かつての不動家が須佐美一家の従者として尽くしていた一族であった」という伏線のために)示しておく)
・しかして竜苑は話を再開するように「それで、真白の仕事人だったか」などと切り出し、前回の会合の時と変わらず、そのような存在がいるらしいことは把握しているが、実態については関知していない、と従来の主張をなぞる
・その言に嘘偽りはないか、と女が確かめようとすると、すぐに竜苑は自分がそのような偽言を吐いた試しがあるか? などと聞き返す。ここで竜苑が嘘偽りや皮肉を嫌っていること、その嫌悪ぶりは他者の嘘偽りをあっさり看破してしまうほどであること、などを説明する
・竜苑がそう断言するなら引き出せるほどの情報は持っていないのだろう、と判断し、女は竜苑の言に了解する。対して竜苑は、繚乱会の御三家ともあろう梟雄(きょうゆう)がなにゆえ素性定かならぬ人間ひとりに執するのだ、と疑問を呈する
・竜苑の問いに女は淡々と、うちの資金源だった組織のひとつを潰された、と告げる。その言葉になにかを察したようにつまり、と漏らす竜苑。対して女はそういうことだ、と返す。ここで元歌手にして元作曲家の男が仕切っていた薬物の密売組織と女の組織がつながっていたこと、2週間ほど前にその密売組織が壊滅したこと、逮捕された元作曲家の男から犯人がうわさの仕事人らしき白髪の男だと知らされたこと、などを説明する
・風聞の登場人物にすぎなかった存在によって実害をこうむった。ましてやそれが裏社会の生業に障るものだったのだから、極道として落とし前をつけさせずして看過するなどあり得ない――同じ極道ゆえにそう思う女になにを聞かずとも同意を示す竜苑は、しかして真白の仕事人はあるいは敵対勢力の尖兵やもしれない、と所感を述べる
・そこで女はよくぞ言えたものだ、などと吐き捨てるように言う。どういうことだ、と尋ねる竜苑に、女は家を出ているという須佐美のお嬢様がその仕事人とつるんでいるとしてもか? などと告げる
・女の発言に竜苑はそこで初めて眉を動かす。「その様子だと、先の台詞は虚偽でなく無知によるものか」「いずれにしろ度しがたい」などと言いつつ、女は突き放すように竜苑をなじる
・しょせんは世間を知らぬ花盛りの娘ゆえすぐに音を上げて帰ってくるだろう、とばかり思っていたが、ひと月を超えてなお帰らずにいられたのはそういうわけか、などと竜苑は得心するようにつぶやく。しかして竜苑は真白の仕事人を指して覚えておこう、などと内なる熱意をほのめかしながら女に伝える
・せいぜい悪用されぬよう警戒することだ、などと言い捨てつつ、女は席を立つ。対して竜苑は声色を変えずに、されどもこれまで以上に突き刺すような調子で、輪花こそは須佐美の次代を担わせるべく産ませた家宝に等しき跡取り娘であると述べ、くだらぬ気を起こしてくれるなよ、と女に釘を刺す