ベルナルドは木の上で惰眠をむさぼっていた。
最近リポト館が騒がしいからである。原因はわかっている。ベルナルドがリポト館を引き払い、アルセンサス宮殿に居を移すことを決めたからだ。その準備のために皆忙しく動き回っている。
ちなみに世話される側のベルナルドはこれといってやることはなく、部屋にいても邪魔になるだけなのでこうして目立たない場所に避難をしている。
大きな木は葉に覆われ、人の気配を消してくれる。
ベルナルドはうたた寝をしていたのだが下に人の気配を感じてぴくりと身を起こした。
気配を隠さず足音を立ててやってきたのは若い女官と侍従。
黒髪をひとつにまとめた女性と、明るい茶金髪の小柄な少年。
少年の方が実は少女であることはベルナルド(とダイラ)以外知らないことである。
木の下にたどり着いた二人はあたりをきょろきょろと見渡したが、あいにくと二人が上を仰ぐことはなかったためベルナルドに気づくことはなかった。
ベルナルドはつい気配を消してしまう。
あたりに誰もいないことを確認したダイラはお仕着せのスカートのポケットからなにかを取り出してレカルディーナに渡した。
「ありがとうダイラ。助かる」
「あんまり無理しすぎないのよ」
ダイラの言葉にレカルディーナはこくりと頷いた。
二人はどうやら荷物の受け渡しをするために人気のないところへとやってきたらしい。女性同士のことなのでベルナルドの意識はすでに二人から外れようとしていた。
「なんだか、男女の密会みたいだね」
とかレカルディーナが言うものだからせっかく外れかかっていた意識が彼女の方へと戻ってしまった。
「ま、もう一人の侍従相手よりはましよね」
ダイラは抑揚のない声を出す。
万年脳内桃色侍従ことシーロがダイラに熱を上げていることはリポト館の住民なら皆知っている。
「ダイラったら相変わらずよね。誰かいいなぁって思う人いないの?」
レカルディーナが弾んだ声を出す。
「いないわ」
対するダイラの声は変わらずあっさりだ。
「……そういう、あなたこそ」
「珍しいね、ダイラが聞いてくるなんて」
「あなたももう十七でしょう」
「お堅い寄宿学校にずっといたのよ。それにわたしの愛はリエラ様に注がれているから」
「リエラ様? ああ、例の女子歌劇団」
「そう! わたしのいまの推しなのよっ! リエラ様ってとってもかっこいいのよ! まだ一番手ってわけではないのだけれど、あれはもう時間の問題ね。騎士役も王子様役も敵役も、何演じてもかっこよくってきりりとしていて凛々しくて。はああ語彙力ほしい」
女性同士の会話のテンポは速く、話題はすぐに移っていく。
ベルナルドはあんだか居たたまれない気分になってきた。別に聞き耳を立てたいわけではないのに、勝手に声を拾ってしまう。
というか、最初からここにいたのはベルナルドの方で女性二人が後から勝手にやってきて長居をしているのだ。
それにしても。普段は意識して低い声をしているのか、下から聞こえてくるレカルディーナの声はベルナルドの知るそれよりも高いもの。
ああやっぱりこいつ女なんだな、と感じてしまう。
「あのあなたをここまで虜にする女子歌劇団って本当にすごいのね」
「無事に一年経ったらダイラも一緒にルーヴェに行こうね。で、一度は女組の公演を観よう。きっとダイラも沼に落ちるから」
「そんな沼落ちる気ないわよ。……ああそうだ、忘れていたわ」
ダイラはごそごそと何かを取り出した。
「なあに?」
「貰ったの。お茶菓子のあまり」
リポト館の料理番は客人のために菓子を焼く。ちなみに館に居座っているベルナルドが客人を追い返すため役に立つことはほぼないが、それでも料理番は万が一のことを考えて保存のきく菓子を定期的に焼くのだ。結局それは余らせることになりリポト館で働く人の腹の中へ納まることになる。
「あ、いいなあ。わたしたちのところには回ってこなかった」
「男所帯の食堂に回ってこないでしょう」
ベルナルドは結局二人の様子を見下ろしていた。
気心のしれたダイラとの会話を楽しむレカルディーナの声が気になってしまったということが大きい。普段よりも軽やかな声が新鮮だった。
声だけ拾っていると、少女二人が楽しくおしゃべりをしているようにか聞こえない。
ベルナルドは次の瞬間、小さく目を見開いた。
ダイラが焼き菓子をレカルディーナの口へ放り込んだからだ。
といっても見下ろしているから、見えているのは断片的な部分で、レカルディーナが口を開いている場面を見たわけではない。ダイラの菓子をつまんだ指がレカルディーナの顔へと近づいていった。そこからそのあとの行動を推察しただけだ。
二人はしばしの間無言だった。
レカルディーナは菓子を咀嚼しているのだろう。
「んんん~、おいしいっ」
「甘いものは疲れを取ってくれるのよ」
「ダイラに食べさせてもらうのっていつ以来だろうね」
「これは……つい昔の癖で……。いいからあとは自分で食べなさい」
「ええ~、もう一つだけ。ね?」
平素からは考えられないような甘えた声を出すレカルディーナにベルナルドは変な気分になる。黙っていればどちらかというと冷たいと思わせる彼女の容姿からは考えられないような声音だからだ。
ダイラは返事をせずに黙って再び菓子をつまみ彼女の口に放り込む。
やっぱり色々と見てはいけないものを見てしまった気分になったベルナルドは、二人が用事を済ませさっさとこの場から離れてくれることを願った。
ベルナルドを庇ってけがをしたレカルディーナは腕を固定され、フォークを扱うことも難しい。
ベルナルドはすでにはっきりと己の中で彼女への好意を自覚し、彼女にそれを伝えた。
「ええと……殿下……が食べさせてくれるって……言われましても、それ絶対に殿下の仕事じゃないです」
「ベルナルドと呼べと言っているだろう」
ベルナルドは律儀に彼女の言葉を訂正する。
そして彼は女官から奪い取った食事の乗ったトレイを寝台の上に用意した簡易テーブルにのせた。
「ベルナルド様に食べさせてもらうとか……そんな羞恥プレイ絶対に無理……」
レカルディーナは青ざめていた。
ベルナルドにしたら何がいけないのかがわからない。自分がしたいからするのだ。いずれ夫になるのだからこういうときは自分をこき使えばいいのだ。
それに、もう一つ。
「……どうしてダイラがよくて俺が駄目なんだ?」
ベルナルドはぼそりとつぶやいた。
脳裏をかすめたのはいつかのあの光景。
リポト館で素直にダイラに甘えていたレカルディーナの可愛い声だった。
「なにか、言いました?」
「いや、何にも」
今の彼女はあのときよりもずいぶんと固い声色である。
「と、とにかく! 駄目ったら駄目です。わたし殿下の差し出したフォークとか絶対に口に入れませんからね」
「駄々をこねるな」
「え、わたし悪くないですよっ! いけないのはでん……ベルナルド様の方ですっ!」
二人が攻防を続けていると扉が開いてダイラが入室してきた。
「殿下に置かれましては勝手に未婚の女性の寝室入るのはどうかと思われますが。食事時など言語道断です。即刻退出してください」
ダイラはベルナルド相手でも容赦がない。
彼女が到着したおかげでベルナルドは気軽にレカルディーナの見舞いができなくなった。
レカルディーナが天使を見るような顔つきでダイラに熱い視線を注いでいる。
数分の睨意味合いの末に負けたのはベルナルドの方だった。
レカルディーナが絶大な信頼を寄せるダイラを敵に回すのは得策ではないと考えたからだ。
ベルナルドの密かな野望が実を結んだのは、彼がレカルディーナと結婚をしてからのことである。
二人きりのお茶の時間。
ベルナルドは小さなフィナンシェをつまんで妻の口元を運んだ。
レカルディーナは少しだけ戸惑いつつも小さく口を開いてくれた。
白い歯が見えてベルナルドの胸が騒ぎ立てる。彼女の口をふさぎたい衝動に駆られてしまったからだ。
レカルディーナはフィナンシェを咀嚼し、頬をほんのりと赤らめた。
「ベルナルド様ったら……」
ベルナルドは長年の野望が叶って柔らかく微笑んだ。
願わくば、彼女の方からおねだりをしてくれるくらいに自分に気を許してほしいと思うが、それはこれから過ごす月日を重ねていけばきっと果たされるだろう。
「もう一つ、食べるか?」
レカルディーナはベルナルドの発言を受けてさらに顔を赤くした。
しばしの逡巡の末に彼女は小さく首を下に振った。
あとがき
こんばんは
最近すっかりご無沙汰ですが生きています
元気です
更新もしていないのにフォロワーさんが増えたりブクマ、お星さまなど嬉しいことも多いので、なろうの方から過去書いたショートショートを持ってきてみました
楽しんで頂ければ幸いです
そうそう、第二回ビーズログ小説大賞の一次通過しました!
今回はカクヨムから侯爵家婚約物語を、直接応募から現代ものを
合計二作品
どちらも通過していました
嬉しいです
書き続けていればよいこともありますね
ではまた