戦前の昭和黄金期に羨望の的となったレストラン・食堂車と、風変わりなコック・ハチクマ、彼を取り巻く人々の物語。
昭和19年、戦局悪化により列車食堂は閉店、そのときハチクマは……。
https://kakuyomu.jp/works/16816700429063424924/episodes/16816927863070675084
写真は母が受け継いだ特急櫻の食堂車、右奥の席で車窓を眺めているのがハチクマのモデルにした祖父です。母曰く、私に似ているそうですよ。
物語の軸を殿下のモデルにした朝香宮→音羽正彦侯爵にしたので、わかっていることは少ないのですが祖父の経歴を本作では変えています。
ハチクマは昭和8年で二十歳そこそこの大正生まれですが、祖父は明治38年生まれです。
滋賀県大津市膳所本町に生まれ呉服屋の奉公に出ますが「東京には、もっと美味しいものがあるはずや!」と、偉い人の紹介で東京・目黒の朝香宮邸で働きますが、すぐ辞めます。
以降が不明で、風来坊のコックだったと聞いています。その中で超特急燕や赤坂東洋軒、東洋軒の派遣で豊島園古城の塔などで働いていたそうです。
戦後は横浜・鶴見の洋食屋(私が幼かった頃には、既に閉店)で雇われコックをしていたそうです。
戦後生まれの母の記憶では、肺を患って寝てばかりいた、ネルドリップでコーヒーを淹れていたが待ちきれずネルを握った、「お馬の運動会」と言って母を川崎競馬場に連れて行った、といった話を聞いています。
余談も含めて、お付き合い頂きありがとうございました。