昭和9年、超特急燕、東京行き。
丹那トンネル開通に伴う牽引機関車の変更で、列車食堂に悲劇が起きた。
更に、若きコック・ハチクマの軽はずみな決断で、食堂は窮地に陥る。
どうするハチクマ?
明日も18時に次話を投稿します。
https://kakuyomu.jp/works/16816700429063424924/episodes/16816927863069456980ついでに機関車のお話でも。
昭和9年当時、鉄道省の特急列車は東海道本線・山陽本線に3または4往復(富士・櫻・燕・不定期燕、のちの鷗)しかありませんでした。まだ急行の地位が高かったので「特別な急行」だったのです。
丹那トンネル開通までの燕は例外として、特急列車の牽引機は基本的に最新鋭にして高性能な機関車が用いられました。
ただ、鉄道ピクトリアル2022年7月号には昭和14年、特急鷗を大正14年製の輸入電気機関車EF50が牽引している写真があって、優先されたのは性能と信頼だったのかなぁ……と。
戦前の鉄道は、本当にわからないことが多いです。