ハンバーグ③

 フライパンふたつを石炭レンジに載せたハチクマさんは、丸パンを横一文字に切ってしまった。フライパンの一方でハンバーグソースを弱火で温め、もう一方では横一文字に切った丸パンの切り口を焼きはじめた。

 ソースがトロトロに煮詰まると、ハンバーグをオーブンから取り出して、ソースをまんべんなくまとわせる。

 一枚の皿に丸パンの下、煮詰めたソースを絡めたハンバーグ、丸パンの上の順に積み上げて、最後の仕上げに付け合せを添えた。


 ハンバーグの変わり果てた姿に、私も皆も開いた口が塞がらない。するとハチクマさんが

「チキンカツレツとフライドフィッシュも、これと同じにするつもりだ。客が怒ったら私が行くから、すぐに呼んでくれたまえ」

「……シチューもパンに入れるんですか?」

 恐る恐る尋ねると、ハチクマさんはパンの上部を器用に削ぎ、中をくり抜き器にすると、ニパッと笑った。

 もう駄目だ、ハチクマさんは料理が揃ってさえいれば、それでいいと思っている。


 恐らくハンバーグであろう不格好なものを紳士の前に配膳すると、食堂車利用客全員の視線がそれに集中した。


 あれは、サンドイッチか?

 いいや、そんな綺麗なものではない。

 間に挟まっているのは、ハンバーグだぞ?


 集まる注目、怪訝な表情、非難の目、募る不安が、私を羞恥の炎で包み込む。

 でも、お皿がないんだ。注文は通してしまったんだ。注文品は提供しないといけないんだ。

 食堂中央で仁王立ちして、整えた呼吸を割れんばかりに吐き出した。

「先ほど申し上げました通り、お皿が足りません! 一品料理とパンでご注文の方には、このように提供します! 注文を変える方はお申し出ください!」

 私の啖呵に、食堂が揺れた。


 小娘が、何を言っている。

 そんな話は聞いていないぞ。

 注文を通したのは、そっちだろう。

 食堂車の利用を楽しみにしていたのに。

 私の食事が、あんな見た目で供されるのか。


 声なき言葉が全身に突き刺さる。でも、私たちの策はこれしかないのだ。たとえ援軍を呼んでも同じことを繰り返すのみ、ひとり当たりに刺さる数が散るだけだ。


 しかし紳士は周囲に構うことなく、ハンバーグを上下のパンで挟んだまま掴んで、懐かしそうに見つめていた。その瞳は輝いており、まるで思い出の泉にとっぷり浸っているようである。

「これを、どこで……」

 まさかの反応に、私たちの方が驚かされた。

 ハチクマさんが苦肉の策で生み出した料理なので、答えに窮してしまっていると、紳士はそれが待ちきれず泉に映った思い出を語りだした。


「四年前、これをアメリカで食べていました。欧米各国の色々な料理を食べたけど、これが一番懐かしいわ……」

 慣れた手つきで上下から押し潰し、豪快に丸ごとかぶりついた。したたり落ちる肉汁は、ハンバーグがまとう濃いソースと溶け合い生まれ変わった。ハンバーグに留まることが叶わなかったソースも肉汁も、一粒一滴も余すことも逃すこともなく丸パンがすべて受け止めて、その奥深くにまで浸み込ませていった。


 また、両手でがっしりと掴み大口を開けてむさぼり食う格好が、荒涼としたアメリカの大地で力強く手綱を握り、挑戦的に開拓する男の姿を想起させた。

 溢れる肉汁とアメリカの思い出に頭のてっぺんから足の先までどっぷり浸り、微笑みを絶やさず夢中になって食らいつく紳士の姿に、皆が羨望の眼差しを向けていた。


 すると、そこかしこから

「私もあれでいい」

「むしろパンで挟んでくれ」

「同じものに変えてくれないか」

と声が上がってハチクマさんは、大慌てでカウンターに丸パンを並べはじめた。

「これを横一文字に切ってくれ、私だけでは間に合わない」


 皿不足に理解を示してくれた客へのお礼を、花火大会のように何度も何度も弾けさせていると、列車食堂従業員一同が紳士と私に向かって頭を下げているのが目に映った。




 こうやって食べていたわ、と言って母はハンバーガーを両手の平で押し潰した。周りの様子を覗うと、誰も彼も包みを開いて、そのままかぶりついている。そんなことをしている人は、どこにもいない。

「本当に食べたことがないんですか?」

 そう妻が尋ねると「初めてよ」と嬉しそうに言っていた。何とも妙な話に、俺と妻は顔を見合わせずにはいられない。


「昔話よ。長くなるから、家に帰ってから詳しく話してあげるわ」

 ニッコリと笑ってから、ぺっちゃんこに潰れたハンバーガーにかぶりついた。

「うん、美味しい! こういう味だったのね!」

 彼女は、思い出の泉に頭のてっぺんから足の先まで、とっぷり浸った。

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