八月も終わりかけですが、「なな月」の蛇の足でも置いておこうと思います。
一、「半夏生」
半夏生といえば夏になりかけの7月2日。半化粧といえばさらに、湿地の植物がイメージされるかもしれません。
この詩は、上の二つにのせたビニール袋の詩です。買い物ビニール袋は2020年7月1日に有料化されました。
三連目「めいはく」は”明白”かつ”迷惑”の変形。四連目は、この時期こどもを海へ放つ蟹の生態と、腐食せずマイクロプラスチックになるビニールの対。
価値を付けることによって排除する。求める結果はともかく、どこか寂しくなりますね。
二、「捧ぎ」
「令和2年7月豪雨」と名前がついた雨について。
球磨川流域の集落では、「経験上ここまでは大丈夫」と思う人がいたそうです。
いえ、どこでも。五十年に一度の経験は、今や保障になり得ません。
「遠くの雷鳴」は”他人事”。「たまねぎの顔」は”偽物の涙”のそれぞれ言い換え。
三、「青海波」
一番テーマから遠い印象の詩。
新型コロナウイルス感染対策の特別措置法に基づく緊急事態宣言は5月25日に解除されました。第一波と(後に)言われた感染者の爆増も落ち着いたように見え、よって砂浜には人が押し寄せました。少なくとも、”三密”の内一つはあてはまりません。
愛を語ろう。酒を飲んで踊ろう。大声で歌おう。
「波が過ぎたあと」は永遠だ。
四、「ドクリツ」
「幸せってなんですか」「それは誰もが求めているものです」
「あなたは幸せを求めていますね」
「健康ってなんですか」「心身が健やかな状態です」
「煙草は健康を損ないます」
「欲望のままに行動することは、欲望に支配されているため真の自由ではない」
7月4日は、アメリカ合衆国の独立記念日です。
五、「夜をすぎたら」
実は二年前の七夕に書いた詩です。多少変えていますが。
なにもかもが明滅します。生老病死、別離と再会、朝と夜。
そのままではかわいらしすぎて出し辛かったものですが、どうでしょう。これが五番目の詩です。