どうも、めいき~です。(´・ω・`)
砂塵吹きすさぶ砂漠のど真ん中、晴れ過ぎた空の下ただ膝をついて水を祈る。
誰が為という事はなく万象残らず枯れ果て、蜃気楼に迷夢が如く。
全ての現実は偽物(イミテーション)に見え、ただこぼす涙一滴すらなく枯れ果て……。歓喜もなく、嘆きも無くただ空に怨嗟を吐き出すも照らされた大地からあがる熱気に意識を失う。
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なんて、似合わない事書いてるのも疲れるのでこの辺でやめとくとして(やめるんかい)。芸風に挑戦してると我今どこにおるんぞや?ってなる私ですハローハロー。まぁ、そんな事はどうでもいいねん。
根底にあるのは小説とかじゃなく詩やノベルイメージやゲームなので、絵が無い関係で表現たりねぇでゴザルからのそれを表現する為に語霊(ごりょう)を書いてる訳です。ただね、この手の硬い文章書いてると吾輩こう思う訳です。
「自分の文章読んでるのに疲れるってどないやねん(マジこれ」
面白い様にしようとか、この位捻ろうとか文章や物語を描こうとすると自分が読みやすいとこまで落とさないと見直し途中に寝る。(寝るんじゃない)
そして、大体そういう時に誤字とかやらかす。(N敗)
※やっちまったな~wで終ります(念の為)
まぁ個人的な意見になりますが物語も小説も乗物に読者のせていくぜみたいな事を心掛けて今日まで書いてきました。(約一年目のヒヨコ)
乗物にのせて、色んな所に行って目的地に着く。その時間数や乗物の設計までが「書き手の真骨頂」だと信じて疑わない小生。
さて、その乗物がステキな馬車でお姫様のように手を取り従順な執事になってドアを開ける所から設定するか。段ボールにそれっぽい絵をかいてのせるやつのケツを蹴りながら無理矢理のせていろは坂をイ〇Dの86の後ろを人間の脚で走って追いかけ並走ドリフトを決めながら下るという「お前それのりものちゃうで」という読者の突っ込みすら無視してコーナーにお嬢様笑いしながら突っ込む。というのもありな訳ですパドゥーン(なんだこれ)
私の持論ですが、前者の馬車の場合ドレスコードから装飾まで緻密綿密な設計と設定で魅せていく為プロットは黙って書けという事になります。
逆に、段ボールで突っ込む場合は「こまけぇ事はいいんだ、リビドーだけあれば!!」と設計と設定はポイして勢いだけで書く感じです。プロットなんて捨てちまえ、さぁ倫理も常識も捨て去るのだ。(捨てんな)
という二極論で生きている人間を想像してください。(`・ω・´)ゞ
同じネタでタイトルだけ書くなら。
A「侯爵令嬢の花園、華麗なるお茶会」
B「侯爵令嬢の百合園、酒癖の悪さが酷くて筋肉でドレスが弾けてしまいますわ。騎士達をしごいた後の煙草がうめーわ、酒乱の乙女達の筋トレ祭り」
位何処かへ飛んでいきます。(( 一一)
酒乱で筋トレの時点でそれはお茶会ちゃうねんでという「読者の苦情は一切受け付けねぇ!!」その心意気だけで書くのです。
※何言ってんだこいつ(あと小生や吾輩はわざとやってます念の為
さて、今回の近況は世迷言としてぼやいてみました。
忘れてくだはい、オナシャス。
それでは~(/・ω・)/