今から7年前。2011年という世界にはまだスマートフォンなんて殆ど存在していなくて、みんなそれぞれのSNSをホームにネット社会を楽しんでいたと私は感じています。
個人的な感想ではありますが、今はネットの中に昔のような暖かさや絆というものはない気がしています。でも、当時のSNS――特に私がいた“ゲムトモ”という場所はある意味で学校のような感じでそれぞれがどこかですれ違ったことがあるようなアットホームな場所でした。
だからこそ、2011年の3月11日は全国各地に住んでいてもあの世界にいた私達にも大きな影響を与えました。
それぞれがそれぞれの安否を案じ、奔走し、そして地震が与えた恐怖やパニックはネットの中にも蔓延しました。
私の友人達はすぐに無事だという確認が取れました。それでもこの日を皮切りに交流がなくなった人もいます。
そんな中で私にもできること…………それは“情報を発信すること”でした。
パニックを起こしている人の多くの原因は何をどうしたら良いのかわからなくなっていたことでした。それはもちろん実際に被害や恐怖に遭われた人達だけでなく、遠い場所から友人の身を案じてる人達も。いえ、身を案じている人達の方がパニックになっていました。
正直なことを言えば、一番最初に筆を執った理由はパニックを起こしている人に自分の友人が傷付けられ、私も苛立ったからです。
私は幼い頃とはいえ阪神大震災を経験し、大災害のときの話は嫌という程見聞きしていました。なので、その経験の話を日記に書きました。
そして実際に需要があったのか、偶然だったのか多くの人がその日記を読み、共感してくれ、さらなる情報を求めてくれたのです。
その日から私は自分の知りうる情報を発信しました。
それは全て自己満足だったと思います。けれど、その場にいたいくらかの人、実際に被災されていた方などからも感謝の言葉を貰い、こんな自分にもできることがあるのだと、どこか安堵に似た気持ちを覚えました。
そしてそんな中でさらに私ができることを探し、生まれたのが【魔術師とお茶を一杯。】という小説です。
「一杯のお茶のような暖かな物語を」というコンセプトで一日一話千文字以内で書きました。とてつもなくつたない文章でしたが、この話も多くの方に喜んで頂くことができました。
途中からはコンセプトから外れた部分も増えて、結局未だに完結してませんし、一日一話更新というのも三ヶ月くらいで途絶えさせてしまいました……(苦笑)
それでも私はこの物語に触れると、当時、偶然だったとしても多くの人が共感してくれたこと、感謝してくれたこと、誰かの役にたてたこと、失ってしまったもの、新たな出会いなど色んなことを思い出します。
そんな訳で、現在当時ゲムトモに載せていたままの原稿をこちらに投稿させて頂いています。そして同時に当時書きかけのまま放置していた穴を埋める話を執筆中です。
載せている話の文章は本当につたないですが、とても大切な作品なのでこの作品もいつか書き直したいとは思っています。でも、その前に穴を埋めて、もう誰もみてはくれないかもしれないけど日の当たる場所に出せればと思っていますので、どうぞ宜しくお願い致します。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054885237006
長くなりましたが、何年経っても今日という日を忘れてはいけないと私は感じています。それでも忘れるのが人間ですし、忘れたい人も多いとは思います。
けれど、私にとってはやはり大きな基点の一つです。文字の力。私の書く文章がまたあの日のように多くの誰かの力になれるとは思っていません。それでも良い意味でも悪い意味でも、一度はそうした力を持ってしまったことを忘れたくはありません。
そしてこれからも、このことで産まれた作品。縁。感情。を大切にしていきたいと思います。
時計 紅兎。