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遅すぎるあとがき「競馬場へ行こう」

 昔の阪神競馬には馬の着ぐるみを身に着けたおっさんがいました。
 難波ウインズには、ミニスカの全く似合わない大男がいました。
 そして大学一年の春、初めての彼女ができて有頂天だった私は、高校のクラスメートと宝塚記念へ行く約束の会に彼女を連れて行って、酷くきまずい思いをしました。(そのせいか、その会に第二回はありませんでした)

 今思うのは、こんな風に、一画面のしかも前半にフックをかける努力をしなければ、webの小説なんて誰も読まないのだということです。

「競馬場へ行こう」へ収められた短編は全て、十年ほど前に自身の競馬予想HPで予想の前文として連載していたものです。
 寺山修司にぞっこんだった私は、予想の前置きとして、鉄火場の一服の清涼剤としての物語を書きたいと思っていたのでした。
 読者は当然ながら競馬予想の「ついで」に楽しんでいくので、色々と深く考えて書かなくても、競馬関連としてHP自体が人気であれば一定数以上は読まれるのです。

 しかし、こうして改めて文章だけで見せようとした際には、パンチに欠けることは否めません。
 どれも文章のデキは悪くないと思いますが、web小説として読ませる構成が成立しているかと言うと、NOとなるわけです。まず、読まれない。
 クリックから1秒以上かかれば読者が大幅に減り、リンクの階層が深くなるごとに更に二次関数的に減っていくというのは、HPをアクセス解析していたので身をもって体験しています。
 それにつけ、最初の一画面で興味を惹けなければ、基本的には読まれないというのが、最近確信したことです。

 今後、もし気が向いて、新作を書くようなことがあれば意識したいなと思っています。
 そして、全くweb向きではないこの小説を読み切ってくれた読者の方には心から感謝しています。
 どの話も、実話とフィクションを交えており、モデルの方が気付いてもしかして私のことじゃないかと連絡してきた話もあります。
 これらは、ネガティブイメージのつきまとう競馬や馬券を通して、身近な愛を表現したいなと書いた物語です。

「馬券は恋愛であり、恋愛は馬券である」というのがテーマで、それはつまり、人生を賭けるとき、最後は打算ではなく好きかどうかで勝負すべきなんだ、という信念のようなものです。
 読者様の人生という名のレースに幸あれ。

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