遅まきながら、ダニー・ボイル監督の「イエスタディ」を観た。
簡単に言うと
「世界からビートルズの存在が消え去って、知っているのは自分だけ」
になったら、どうするよ?
というようなストーリーなのだけれども
主人公はそれを活かしてビートルズの曲を自分の曲としてリリースして……と、続くわけだが、詳細は省略する。
これと同じように、もし、世界に冠たる名文学作品が
きれいさっぱり消え去って、自分だけのものになっていたとしたら
どうするだろう?
それを自著として世に出したりするだろうか?
個人的には「否」である。
これは音楽と同様に、文学だって同じような、似たようなものはいくらでもあるし、いくらでも後から後から湧いてくる。
それは盗作ではなく、類似とでも呼ぼうか。
または「ジャンル」に括られるのか。
今、自分で考えて書くことができないのなら
いずれは枯渇する。
他の一切から盲目であれ。自分の中に見出すのでなければ、価値はないのだ。
文学賞の候補になると、必ず確認される。その作品に盗用や引用がないか。完全なるオリジナルかどうか。
その時に胸を張って「大丈夫です」と言えないのであれば、辞退する方がまだマシで、傷は浅いと言える。
(後で知れたら大ごとだから)
さて、私ならビートルズを盗作してスターダムにのし上がるか?
これも答えは「否」である。
なぜなら、ギターが弾けないから。
どんな素晴らしい音楽も、弾けなければ世に出すことはできない。
どんなアイデアも具現化するには書かなくてはならない。
ただそれだけの真実が、そこにあると
いつも思うのだ。