ハマースによるイスラエル攻撃の後、全世界で親イスラエル・反イスラエル論争が勃発し、そのまま「反ユダヤ主義」という問題に直面しています。困ったことに何でもかんでも「ネオナチ」とか「反ユダヤ主義」とかで言いくるめようとする時流もあって混乱は増すばかり…
そこでこの一ヶ月ほど、時間をかけて「反ユダヤ主義」というのを調べてみたのですが、驚くべきことに「特に根拠となる歴史がみあたらない」という結論になりそうです…(驚愕
ユダヤ人に関して言われてることの殆どは歴史的な裏付けに薄く、殆どイメージだけのような気がしてきました。特に有名な「ユダヤ人はカネに汚い」ということに関しては、もともとキリスト教会が貧困層救済のために金貸しをしていたら、いつの間にか高利貸し業に化けてしまい信者激怒。これを受けて複数回の宗教改革令発布によってキリスト教徒同士(主に教会による)高金利貸しが禁止され、その代わりにユダヤ教徒の一部が金貸しを始めたところ、こいつらが年利40%近い超高利貸しをしたのでみんなから憎まれた…という程度のことで、このイメージだけで現在まで「ユダヤ」が語られているだけのようなのです(爆死
しかしこの「シャイロックのような」ユダヤ人のイメージがそのまま「資本主義」そのものとイメージ付けられ、その結果、「ユダヤ人=資本主義・新自由主義・グローバリズム(←みんなカネに汚い)」という心象付けとなり、反ユダヤ=反米・反体制・共産主義・平和主義・愛国主義という展開になったと考えたほうが良さそうです。
要するにユダヤ(人)というのは現代の資本主義社会の象徴であり、貧富の格差やグローバリズムというリベラルの詭弁に対して疑義を感じている右派・左派含めた「反資本主義者」たちのアイコンになってるのが「反ユダヤ主義」だろう…ということです。
イメージだけで語られるためにキーワードの定義が弱く、そのため語義の境界が散漫で意味が発散するために、なんでもかんでも「反ユダヤ主義」と言いくるめる事もできるというわけで、これがますます混迷を深めるという悪循環ということです。
最初、反ユダヤ主義はカネの問題だろうと考えて調べてみたのですが、実際にはカネの問題でさえなく単なる言語論とか記号(論)で語られるべき「空虚な」問題なのかもしれないと思うようになりました…(๑¯ω¯๑)
いずれまとめてUPします…m(_ _)m