• SF
  • エッセイ・ノンフィクション

弥生時代後期の硯

こんな記事が新聞にありました。

硯の破片
弥生時代後期、福岡で出土 外交上の文書記述(毎日新聞2016年3月1日)

https://mainichi.jp/articles/20160302/k00/00m/040/031000c


糸島市の教育委員会が、三雲・井原遺跡から硯の破片が見つかったと発表した。硯は書道でおなじみの「あれ」だ。糸島市は『魏志倭人伝』にみえる「伊都国」の所在地ではないかと言われており、中国の外交使節も滞在した場所だ。こうした場所ゆえに、硯は威信財としてではなく、実用されたものであると判断されたらしい。
実際、誰が何を書いていたかはわからないし、初めのころは文章をかける人間は渡来系の人に限られていただろう。けれども、弥生時代の終わりに、文字文化が流入してきた確たる証拠になるのだろう。今後の研究や、さらなる発掘に期待したい。

普段当たり前に使っている文字や、音読み・訓読みだとか慣用句だとか熟語だとかの文字文化に、我が国(の人々)はいつから親しんだのだろうか? 文字と言う便利で、国家を構築していくのに重要な要素をどのように取り入れていったのだろうか?

個人的には拙作『A.D.248 ウェザーリポート』で書いたように、弥生時代の終わりの支配者層は、現代の私たちが漢文の授業で習うような『論語』や『史記』にすでに触れ、支配者としてのリテラシーを涵養しうる立場にあったように思う。少なくとも、そうした可能性はある。
弥生時代の終わりの人が、21世紀の私たちと同じ書物(あるいは古い故により原典に近い文章)を読みうるという、可能性。
そういうのにドキドキして、可能性を最大限に活かして『A.D.248 ウェザーリポート』を書いてみた。

コメント

コメントの投稿にはユーザー登録(無料)が必要です。もしくは、ログイン
投稿する