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観客なんて一人でもいい(ブログと同内容)

ようやく「獄童アイソレーション」のカクヨム移植が終わりました。

ルビの修正と各章に小分けして章タイトルを付けて、という感じで書いてみましたが、意外に大変だったなと。結局変換ツール的なものは使わずにワードの置換機能とかの手作業でやりました。

移植してから今さら感が半端ないのですが、まあ大して読まれないでしょうね。カクヨムも異世界とかが主流なのか、そんな感じのタイトルばかりなので。

私としては無料で月狂四郎の作品が読める場所があるという事が大事かなという感じなので、あまりPVがどうとかは気にしていません。

たまたま王様のブランチでやっている本のコーナーで、島本理央(あんまりよく知らない)が「たくさんの人に共感してほしいとは思うが、誰か一人にピンポイントで届けばよい」という感じの話をしていました。

たしかに私もいっぺんだけ格闘技モノだけバーッとKUで読んでくれた方がいまして、売上的にはかなりありがたい事がありました。「名無しの挽歌」とかは途中まで読んでやめられていたので、本当に格闘技モノが好きな読者だったようです。

そういう人でも一人掴むと強いんですよね。そういうジャンルを書いていれば次も読んでくれるであろうと予想されるので。

よく「誰に届けるか考えろ」的な指南がありますけど、補足すれば誰にでも届けようとするのは危険というか、その方針の行き着く先は極端な迎合が飛び道具しか無いんですよね。

でも物語ってそんなに単純じゃなくて、王道のものは陳腐ではなくちゃんと芯があるというか、その作品でしか持ちえない魅力を持っていたりするんですよね。

だから自分の作品を好きなってくれる人であれば、その人に届ければいいんじゃないのかなと思うのです。特にインディーズはそうだよねと。

現在作家だけで食ってる人ってほとんどいないと思われるので、こんな自由な時代だからこそ自分でしか持ちえない世界観を誰かと共有する楽しみがあるというか、それって小学校の休み時間でマンガを書いていて、友達と盛り上がってる時の楽しみに近いと思うんですよね。

あの時の楽しさの延長戦上で、好き勝手に打ち切りの心配も無く自著を好きなだけ書いて、飽きたらやめちゃえばいいんですよ(笑)。

その割には10年以上持ってるなとは思いますが、少なくとも私の執筆活動が承認願望に裏付けられたものではなく、生理現象に近いものである事はいくらか証明出来たのかもしれません。

まあ、難しい事は抜きにして、何か買って下さい(笑)。

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