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墨子とキリスト教

古いノートを見直していたら、当初、今回の小説で予定していた、中国思想と世界の宗教、そして西洋哲学のメモが出てきて、そこに墨子とキリスト教の話が……。

しまった……。

そうだった。だから墨子を出して、守禦術を駆使しながら、キリスト教の言う「愛」と墨子の言う「愛」の比較がしたかったのに……。

公募の枚数制限でガバっと削除した部分だった。すっかり忘れていたわ。

楊が街の人と交流していく中で、キリスト教の教義や、プロテスタントが大事にしているところが、全て墨子の中にあるというのに気付くという面白い部分を、まるっと出し忘れていたなぁ……。

うーむ。番外で書き足そうかなぁ。。

実は、墨子は「非攻」という教義を持っていて、今でいう「専守防衛」の思想を広めようとしていました。
一方で「兼愛」という、これはキリスト教で言う「隣人を愛せよ」に近しい思想も持っています。
戦争は反対していませんが、侵略戦争を否定しています。
一方で、職人や技術という面を重視しており、職能集団としての教団の存在があります。
これはプロテスタントが商売を通じて技術を高めていったのと似ています。

更に、墨子には現代の数学に極めて近い発想もあり、例えば円の定義を、「中心から同じ距離にある点の集まり」としています。

この恐るべし墨子の書の完成は、紀元前400年頃とされています。

……んー。番外編で書くべきかなぁ……。今更、更新とか、嫌がられないかなぁ。

2件のコメント

  • 兼愛説ですよね。
    キリスト教の愛より、私は、兼愛説の方が好きではあります。

    そもそも、隣人同士で殺し合いをしているのがキリスト教国家の歴史です、おっと、誰かが来たようだw
  • まあじんこぉるさん

    そうです。兼愛説。この極めてキリスト教の説く愛に近いけど、同じものではない厄介な兼愛を物語に交えるために墨家を登場させたのに、使わないというミスを……。

    登場させるとなると、墨子の頃の儒教的愛である「博愛」とキリスト教の「アガペー」も比較したくなります。悩む。そっちに話がもっていかれるのか……。

    そして、おっしゃる通り、キリスト教国家の愛が形骸化し、カトリックの腐敗も相まって、ちっとも隣人を愛さな……ん? こんな夜更けに誰か来たぞ?
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