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Re:仮歌②


 駅前に集まった黒スーツの集団。はたから見てもよく目立っていた。その中に吉岡の姿を見つけ、僕は近づく。病院に来たメンバーと同じく、いたのは一部の三、四回生だけだった。

「これで全員か」
「はい」

 吉岡はどこか寂しげだ。

「少ないな……」
「西川は色んな奴から怖がられてましたからね。心苦しいですけど、後輩からはあまり親しまれてないんじゃないかと」
「そっか。慣れてないとあの性格はきつく感じるんだろうな」

 我が強くて、厳しくて、プライドが高く、怒りっぽい。西川をあまり知らない人は、彼女をそう評価する。

 でも違う。
 あいつは自分の気持ちを表すのが下手なだけで、性格がきつく感じられるのもただ音楽に真摯に向き合っていただけだ。あいつと一緒にバンドを組むと、ミスをきつい言葉で指摘されるからいつしか誤解されるようになってしまった。付き合いを深めるとすごく優しい奴だと分かるのに。

 同じサークルの仲間が死んだんだ。せめて通夜くらい出ても良いじゃないか。
 この人数の少なさが西川の人望をそのまま表している気がしてなんだか酷く悔しい。

 通夜の式場は駅から歩いて十分ほどの場所にあった。葬儀場の看板が見え、なんだか急に現実味を帯びてくる。
 西川を轢いた運転手は、バイクごと壁にぶつかり亡くなった。何故信号無視をしたのか、故意なのか過失なのか、僕らはそれすら分からないままだ。怒りや悲しみをぶつける相手も奪われ、僕らはただ『受け入れる』と言う事を強要された。

 会場に入り、ロビーを抜けたところで受付があった。記帳をする為何人もの人が並んでいる。見たところ若い人が多い。西川の友人だろう。大学では友人の少なかった西川だが、こうして地元には死を悼んでくれる友人がたくさんいたみたいだ。

 三年間。僕達が西川と一緒にいた時間だ。彼女とは様々な事を話したが、それでもこうしてひょんな事から相手の新しい一面が顔を出してくる。

 僕はあの短い時間で、どれだけ彼女を知る事が出来たのだろうか。考えなくてもいいのに、そんな意味のない疑問が脳裏をよぎってくる。

 受付には高校の制服を着た女の子が座っていた。妹がいると言う話は聞いた事がない。親戚だろうか、勝手にそんな推測をする。彼女の顔に表情はなく、ただ目の前で書かれる名前に視線を落としているだけだった。泣いている人も多い中でその顔は随分機械的に見えた。冷ややかな印象さえ受ける。

 でも、どことなく西川の面影があった。
 人が流れ、やがて僕の番がやってきた。『大城誠』と自分の名前を記す。

「大城……?」

 名を呼ばれ、顔を上げると目の前の少女と目が合った。真っ直ぐな視線に一瞬心臓が跳ね上がり、空気が止まる。大きな目にはハッキリと僕の姿だけが捉えられていて、動けなくなった。順調だった列の流れが滞る。
 西川……。

「先輩? どうしたんですか」

 吉岡の発言でハッとした。
 まだ記帳の列は続いている。
 僕は慌てて列を抜けると少女の視線を背中に受けながらその場を後にした。僕の事を知っているのだろうか。親戚だったら西川から何か聞かされていたのかもしれない。

 メンバー全員が記帳を終えるのを待って中に入ることにした。まだ通夜は始まっておらず、並べられた椅子にはちらほら着席している人の姿も見える。沈んだ表情にすすり泣く声が室内を満たす。

 部屋の奥に西川が眠っている棺があり、その更に向こう側に遺影が飾られていた。写真の中の西川は朗らかな笑みを浮かべていた。

 西川も、あんな顔で笑うんだな……。
 すぐ横から鼻水をすする音が聞こえ、見ると吉岡が顔をうつむけて涙を流していた。大の大人が鼻水を垂らして涙する姿に、僕は薄く呆れ笑いを浮かべてティッシュを差し出す。

「泣くなよ、まだ早いだろ。明日は出棺だってあるんだ。そんなんじゃ西川に笑われるぞ」
「ずびばぜん」

 吉岡はティッシュを受け取ると鼻水をかんだ。僕は彼を励ますため、軽く肩を叩いてやる。
 そこで親族側の席に、見覚えのある人の姿があるのに気付いた。病院で見た、西川の母親だ。
 西川の母親が病院に駆けつけたのは西川が死んですぐだった。娘が亡くなったと言う旨を医師から言われ、崩れ落ちる彼女を僕たちが支えた。

 他の家族が来る前に、あまり居ては迷惑になるからと病院を後にしようとした時、西川の母親にお礼を言われた事を覚えている。

「みんな、唯の傍にいてくれてありがとう。あの子もきっと喜んでる」

 こちらを向いた西川の母親と目が合った。彼女はこちらに近づくことなく、潤んだ目で小さく頭を下げる。僕も会釈を返す。

 西川の母親は、普通の人だった。どこにでもいそうな、子供と家庭を大事にする、優しそうな人だ。彼女の隣に座っているのが父親だろうか。椅子に座ったまま、誰かと話している。お悔やみの言葉を言われているのだろう。この人もまた、優しそうな人だ。

 二人とも、娘と随分似ていない。西川にはどこか人を寄せ付けない部分があった。それは周囲が勝手に感じていたオーラの様なものだが、彼女の両親にはそれがない。
 当人が死んで、初めてその親に対面すると言うのも何だか悲しいな。
 部員が全員席に着くのを確認した後、僕は部屋の出口へと足を運ぶ。

「先輩、どこ行くんですか?」
「手洗いだよ。すぐ戻る」

 受付の傍にトイレがあったのを思い出して足を運んだ。
 用を済ませて手を洗っていると、鏡に自分の無骨な顔が映りこむ。涙の欠片もない、まっさらな顔。

「涙すら流さないなんて。薄情な人間だな」

 口にして自分を責めてみたが、こみ上げてくる物はなかった。泣いてやりたいのだが、気持悪いくらい心が凪いでいる。
 トイレから出ると、見覚えのある女性が視界に入った。記名を終え、列から抜け出る彼女と目が合う。相手がハッと表情を変えたのが分かった。こちらに近づいてくる。

「大城さんですよね? あの、うちの事覚えてます? 御影津ですけど」
「もちろん覚えてるよ」

 御影津。そんな変わった苗字忘れるわけがない。
 西川と同じバンドだった御影津嘉代子(みかげつかよこ)だ。

「お久しぶりです。最後に会ったんは、ええと……」
「去年の十二月だよ、確か──」

 ◯

 きっかけは四月。学期始めでいつもより人の多い大学食堂、向かい側に座った西川が言ったのだ。その日は火曜日で、授業が被った僕達は一緒に昼食を取っていた。

「先輩、あたしバンド組もうと思うんすよ」

 餃子を口に運んだまま、僕はきょとんとした。

「組んでるじゃん、バンド」

 軽音楽サークルにいながらバンドを組むと言う宣言は不可解だ。
 すると彼女は慌てて首を振った。

「いや、違うんす。なんて言うか、サークル外で組もうかなって」
「外バンって事?」

 外バン。文字通り、サークルや部活外で活動するバンドの事だ。自分でライブハウスにアポを取り、ライブに出させてもらう。上手く行けばライブを組むブッキングマネージャーに気に入られ、色々なライブに出させてもらえるようになる。また、他のバンドの人とも交流が深まるし、共同イベントを行ったりする事も出来る。

 僕も昔は外バンを組んでいた。でもスタジオやライブのスケジュール調整の面倒臭さ、自分以外のメンバーとのやる気の差に辟易して数年でやめた。

「サークルの子と組むのか?」

 サークルのメンバーと組んで学外で活動する。そう言う子は珍しくない。

「いえ、学部の友達がドラムやってるんで、その子と組もうかと。ギターとベースは学外から募集しましたけど」
「仕事が早いな」
「前々からやってみたかったんすよ。自分がどこまで行けるのか試したいって。先輩、ライブする時には来てくださいよ」
「考えておこう」

 曖昧な返事をした物の、実際呼ばれた時には二つ返事で行く事を決めた。

 西川がライブを行ったのは、京都の祇園近くにあるライブハウスだった。大通りに面した入り口から地下へ続く階段を下ると受付があり、そこでバンド名を言って取り置きされていたチケット料を徴収される。

 薄暗い場内にはどこか聞き覚えのあるインディーズバンドの音源が流れていた。会場にはさして人はいない。出演バンドのメンバーと、その知り合いが数名程度。平日のブッキングライブと言えばこんなものか。

「先輩、来てくれたんすね」

 客席の一角に置かれたソファで西川はギターを抱えて座っていた。その隣には、見た事のない女の子。多分バンドメンバーだろう。

「暇だったからな」

 素直に見に来たかったからとは言わず、こうやって余計な一言を挟んでしまうのは昔からの癖だった。西川は慣れっこだが、他のメンバーがいる前ですべき発言じゃなかったなと一瞬だけ後悔する。

 隣の女性にそっと視線を移した。肩ほどまで伸びた髪の毛は天然パーマなのか規則性なくうねり、気丈な顔立ちをしている。手に持っているのはドラムスティックか。だとすれば彼女が西川の言っていた学部の友達だろう。

 相手も僕の事を探っていたのか、ふと視線が合う。何だか妙な気まずさを感じていると、相手が口を開いた。

「唯、この人が?」
「そ、前言ってた同じサークルの大城さん。先輩、この子は学部の友達で」
「御影津です。御影津嘉代子。唯から話聞いてますよ。めっちゃパンチあるギター弾くって」
「何それ。そんな事ないよ」

 どうリアクションしていいのか分からず、思わず苦笑いが浮かんだ。後輩からの評価が分かり、妙に照れくさい。

「一回スタジオ音源聞かせてもらったけど、めっちゃすごかったです。スタジオの一発録りのクオリティじゃないって思いました」
「あんなの聴いたんだ……」

 サークルで同回生のメンバーとスタジオに入る時、時々遊びで録音する事があった。設備が整っているスタジオでは簡単にCD-Rに録音する事が出来る。

 西川が僕の家に遊びに来た時、パソコンでデータ保存していた物を勝手に自分のウォークマンに入れていたのは知っていたが、わざわざ人に聞かせるとは思っていなかった。とてもじゃないがそんなレベルの物じゃない。
 僕が西川を睨むと、彼女はバツの悪そうな顔をした。

「それじゃ先輩、私ら準備しないと駄目なんで」

 逃げるようにギターを持って立ち上がる西川の肩を軽くつかんだ。ビクリと体が震える。

「後で覚えとけよ」

 にっこりと笑みを浮かべると叱られた子犬の様な顔で、西川はうな垂れて控え室へと歩いていった。

「お二人、やっぱ仲良いですね」

 ソファに残った御影津さんが言った。

「そう見えるかな」
「はい。……さっきまで唯、結構緊張した顔してたんです。ライブとかはもう慣れっこやと思ってたんですけど、どうも不安な箇所があるみたいで。でも大城さんが来た途端に表情緩くなってました。信頼されてるんですね」
「信頼されてるかは知らないけど、後輩の中では一番仲良いかな」

 御影津さんは僕の言葉を聞いて満足気に微笑んだ。

「大城さん、これからも時々で良いんで、ライブ見に来てください」
「それは今日の出来次第かな。後輩ってだけで無条件で見に来るほど優しくないよ」
「……ケチですね」
「正当な評価を下す人、と言って欲しい」

 御影津さんは手を合わせてぐっと伸びをした。

「それやったら意地でも次に続くようなライブします」
「期待してるよ」

 彼女はにっと強く笑みを作ると、控え室へと向かった。

 彼女達はギターロックバンドだった。掻き鳴らすギターの音と、エモーショナルな演奏。緩急がついた曲調が印象的だったのを覚えている。静と動、独特の空間を作り出し、西川の澄んだ歌声が響く。

 西川、随分上手くなったな。演奏を聴いてそう思う。入部した時は見ていられないくらいだったのに。一年の成長率が異常なほど大きい。このままだと僕なんかすぐ抜かされるだろう。

 御影津さんのドラムも、見たことがないほど感情表現豊かだ。細やかでテクニカルなドラムフレーズが曲の合間にピシピシとはまっていく。スティックを短く持つのは癖だろうか。やっている事は難しいのに、本人はいとも簡単そうに、そして楽しそうにそれをこなしていく。相当上手い。

 唄うようなドラムフレーズに、叫ぶようなギター、そして空間に沁みるような西川の歌声。

 確かに良いが、今ひとつ物足りなかった。まだ音が合わさりきれていない。その辺りはいかにも組んだばかりのオリジナルバンドだ。お互いの呼吸感、曲の密度など、よくあるコピーバンドと一線を画すのに一年はかかる。少なくとも、僕はそうだった。

 目の前のバンドはまとまりがなく、ばらついていた。ただ練習が足りていないだけじゃない。テクニックは充分過ぎるくらい感じる事が出来る。でも、それだけじゃ駄目なのだ。見ている側の琴線に触れる何かが足りない。そんな気がする。

「リードギターとベースが違えばな」

 轟音の中、気がつけばそんな事を呟いていた。

 ライブにはその後もちょこちょこ足を運んだ。ライブを重ねるごとに増していく曲の迫力や整合性。経験も積み、バンドとしても肩の力が抜けようやく流れに乗ってきたところだった。

「先輩、ヘルプでギターやってもらえないすか?」

 ある日西川にそう言われたのだ。

「ヘルプって、何で?」

 僕が尋ねると西川は言いにくそうに口を開く。

「実は、メンバーが抜けちゃって。ベースとリードギターが」
「二人も? どうして? 音楽性の違いとか?」
「音楽性は結構合ってたんですけど……」
「バンドに対するテンションが違ったと」

 西川は沈んだ面持ちで首肯した。なるほど。何となしに合点がいく。
 演奏に対する熱量の差、それがきっかけで人間関係に齟齬が生じる、想像に難くない。

「ベースはあてがあるんす。でも、前の人より上手いギターがいなくて」
「別にオリジナルなんだからそこまでテクニックを重視しなくても良いだろ。ある程度出来る人って言うのはいくらでもいると思うけど」
「それでも、楽曲レベルは落としたくないんですよ。うちらと同じテンションで、音楽に向き合えて、それでいて演奏できる人となると……先輩、駄目っすか?」
「さすがにもう卒業が近いからなぁ。ちょっと難しいよ」

 それにそこまで持ち上げられるようなすごい人間じゃない。

「そっか、そうですよね……」

 肩を落としたその表情は暗い。力になってやりたかったが、僕にはどうしようも出来なかった。
 十二月、活動休止の直前に見に行ったライブが、僕が見たそのバンドの最期となった。 

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