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勇者、僕と魔王。④ 8543字

 部屋に戻った僕達はそれぞれベッドに腰掛け、それぞれ溜息を吐いた。

 事務職のミロちゃん。
 勇者になれないキト。
 かませ犬僕。

 旅のモチベーションを上げようとして寄った就職センターだったが、後悔先に立たずとはこの事だ。
 もう今魔王倒しに行っちゃおうかな。魔法使ったらいけるしな。しかし魔王城の場所がな。毎度毎度住処を変えてくるのが鬱陶しい。
 生じたストレスは些細な仕草や行動に現れる。コップを置く音が大きくなったり、ドアの閉め方が荒々しくなったり。最初はそうでもなかったが、徐々に部屋の空気が重たくなるのが分かった。誰も会話しようとしない。険悪なムード。これ旅の一日目ですよ。信じられない。三十日目ならまだしも、最悪だ。

 するとミロちゃんが立ち上がった。

「どこへ行くの」
「シャワーです」
「あとで僕も行くよ」
「……」

 もはや突っ込む気すら起きないらしい。華麗に無視すると彼女はシャワールームへ姿を消した。僕とキトだけが部屋に残される。

「師匠」
「な、何」話しかけられると思っていなかったので虚を衝かれた。
「僕、よかったです。勇者になれなくて」

 キトから放たれたのは随分意外な言葉だった。

「何言ってるんだよ。強くなりたかったんだろう? 何もいいことなんてないじゃないか」

 しかしキトは強く首を振る。

「だって僕が勇者になったら、師匠はどうなるんですか。四回も世界を救って、助けてくれて当然とすら思われて。師匠は何度も旅をすることでここまで強くなったんですよね? なのにその努力はちっとも認められず、強くて当たり前とすら思われている。これで本物の勇者ですらないってなったら、僕が師匠の立場なら発狂してます」
「キト……」
「僕は師匠を尊敬します。理不尽にも耐えて、強い精神力でこうして今も旅をしている師匠を──」

 そこで、キュッと何かを捻るような音がした。

「静かに」
「えっ?」

 急な僕の制止にキトが目を丸くする。僕はゆっくり唇の前に人差し指を当てると、部屋の入り口へと目を向けた。室内にはシャワーの音がかすかに聞こえる。

「どうしたんですか? 師匠」
「僕たちの様子を伺っている奴がいる」

 ゴクリとキトが唾を飲んだ。先ほどとは違う緊張が室内に立ち込める。キトの表情には怯えが浮かんでいた。

「ま、魔王の手先でしょうか?」
「分からない」

 僕は立ち上がる。

「でも味方と言うわけではなさそうだ」
「そ、そんな」
「いいかキト、僕は少し様子を見てくる。お前はここに居るんだ。五分以内に必ず戻る。戻らなかったら逃げろ。いいか、それまで動くんじゃないぞ」
「師匠」

 不安げなキトに僕はおどけてウインクした。

「安心しろよ。僕の防御力は九億だぜ。ブルドーザーに轢かれたって死にはしないさ」
「はい」

 強張ったキトに僕はにっと笑いかけてやると、その場をあとにした。
 まさかこの時、キトは五分後に僕がシャワー室で血まみれにされるとは思っていなかっただろう。
 事務員だからと甘く見ていた。

 ◯

 二日目は港町ルーブルに向かうことになった。魚が新鮮で、人の出入りも激しい。船便も出ているので交通の便も比較的良く、情報を集めるにはうってつけの地域だ。
 就職センターを出た僕らは再び広大な草原を前にする。

「今の僕たちに必要なのはとにかく情報なんだよ。魔王の具体的な居場所さえつかめれば自ずと次の目標も見えてくるってもんさ」
「あの、勇者様。前から思っていたんですが、テレポーテーションみたいな魔法はありませんの?」
「あるよ。一度行った街や施設ならどこでもいけるよ」
「それなら魔法で飛びまくればいいのでは? 効率が悪いと思いますけど」

 ミロちゃんの言う事はもっともだ。でも僕はゆっくり首を振った。

「急がば回れってね。以前あったんだけど、森で暴れ馬に襲われた事があったんだ。そいつを手なずけたら後に荷車をもらってね。見事な馬車になった。そういう旅の機転になる様な事が稀に起こるんだ。だから歩いて行ったほうがいいんだよ。それに若いうちの苦労は買ってでもしろって言うしね」
「なんだか勇者様、ジジ臭いですわね」

 落胆した様子のミロちゃんに僕はアハハと笑う。年頃のギャルにジジ臭いといわれるとは。悲しみは海より深い。
 就職センターから東へ真っ直ぐに歩く。草原を真っ直ぐ抜けるとその先が港町ルーブルだ。距離は結構あるが一日あればさすがに到着するだろう。
 二時間も歩くと、徐々に足がだるくなってくる。キトもミロちゃんもバテたのか休憩の合図と共にその場にへたり込んだ。

「ゆ、勇者様、港町はまだですの」
「あと三時間は歩かないと」
「師匠……僕はもう駄目です。置いていって下さい」
「死ぬぞ」

 ここら辺は魔物の巣窟だ。
 呆れていると、何かを思い出したようにミロちゃんがハッと顔を上げる。

「馬車、そう、馬車ですわ。勇者様、先ほどおっしゃっていた馬車はありませんの? 厳しい旅に耐え抜いた勇敢な馬と荷車。それさえあればこんな平地、屁でもありませんわ」

 彼女の言葉に、僕はそっと遠くの空を眺めた。空は青く、風は緩やかに吹きつけている。確かに僕はこの道をあの暴れ馬と一緒に歩いた。懐かしい記憶だ。

「何で馬肉になっちまったんだろうなぁ……」

 僕の涙声にもう誰も声を出さなかった。

 三十分ほど休みを取ってまた歩き始めた。途中、自分の何倍も大きな怪鳥に襲われた。群れをなして襲ってくるものだから倒すのに結構手間が掛かった。僕が戦っている間、この二人はとくれば悲鳴を上げながら逃げ回るだけである。もうすこしこう、成長する努力はして欲しい。事務職と無職だって戦闘員としてのレベルは上げられるのだ。
 やがて歩き続けていると目の前に大きな水平線と、港町ルーブルが見え始めた。

「海ですわ! 勇者様! 海!」
「うわぁ、大きいなぁ、綺麗だなぁ!」

 太陽の光を反射しきらめく水平線を見てキトとミロちゃんが声を上げる。田舎者め。
 ようやく到着した港町ルーブルは活気ある町並みと潮の香りを孕んだ涼やかな風で僕らを出迎えてくれた。入り口からまっすぐ行くとすぐに街一番の市場へと出る。魚はもちろん、果物や野菜、獣の肉に回復薬、魔法書や武器防具、旅の必需品となんでも売られている。この辺りに二つとない市場規模の多きさもこの町の特徴である。

「師匠、すごい大きな町ですね」キトが目を輝かせる。
「この辺りだと一番発展してるんじゃないかな。この町を旅の拠点にって人も結構多いよ。装備は弱いものからかなり強力な物まで揃えられるし、辺りの魔物はそんなに強くないし。油断したら死ぬけど」

 あっはっはと笑ったが先ほど死ぬような目にあった二人は真顔で絶句した。虚しい。
 三人で市場を見て回っていると、いつの間にかミロちゃんの姿が消えていた。

「あれ? キト、ミロちゃんは?」
「さっき『あの服可愛い』とか言って足を止めているのを横目に僕らは道を突き進みましたけど……」
「言いなさいよ」
「すいません。てっきり自由行動なんだと思って」

 キトは困ったように微笑む。なぜ微笑む。反省の色を出せ。

「こんな所で待ち合わせ場所も決めていないのに自由行動なんてするわけないだろ?」
「それもそうですね。でもほら、ミロさんは僕と違って大人ですし、はぐれてもすぐ合流できますよ」
「それが危険なんだ。いいかいキト。こう言う人通りが激しい町では一度はぐれると中々会えないもんなのさ。それに悪い奴だっている。一人で不安がっているミロちゃんの心の隙を狙う奴が出てきても不思議じゃない」

 もしかしたら今頃ミロちゃんはその可憐な純情を僕に捧ぐ前に他の誰かに汚されているかも知れない。そうなったらもう高く売るしかない。

「いい声で鳴きそうですなぁ、ぐひひひ」

 僕が涎をたらしながら笑っていると周囲の人が僕を怪訝な目で見た。哀しい。

「とにかく一度道を戻ろう。キト、ミロちゃんが足を止めたのはどの辺?」
「忘れました」
「……」

 黙って道を引き返す。今後はこの弟子に人並みの記憶力をつけたいところである。
 大通りを少し戻ると、狭い脇道から「勇者様っ」と声がした。ミロちゃんだ。

「ああ良かった。はぐれたかと思いましたわ」
「はぐれたんだよ」

 ミリタリーブーツで地面を蹴ってこちらに駆け寄ってくる彼女。まるで軍隊である。目頭が少し赤い。もしかして泣いていたのか。田舎から急にこんな大きな町に出てきて、しかも仲間とはぐれたのだ。無理もない。

「ミロさん、気をつけてくださいよ。僕も師匠も、すっごい心配したんですからね」一体どの口が言っているのか分からないキト君が注意する。
「勇者様、心配、してくれましたの?」
「ま、それなりにね」

 僕は先ほどの胸のうちを決して明かさないと決めた。

「嬉しい、勇者様……。私、二人の姿がないって気づいて、本当に不安で不安で」

 そう言って彼女は僕の右腕をギュッと抱きしめる。なんだか妙に気恥ずかしくて、僕は頭をぽりぽりと掻いた。

「と、とにかく、見たい店があったらちゃんと声かけてよ。別に急ぎの旅でもなし。多少なら観光だって出来るさ」
「はい。すいませんでした、勇者様」
「分かればよろしい」

 そう、ミロちゃんの胸の感触さえ分かればよろしい。僕はこの右腕の柔らかなマシュマロ感を決して忘れまいと決めた。

「それで何か欲しい物でもあった? 服見てたって聞いたけど」
「ええ、こっちに防具屋さんがありましたの。こじゃれていて可愛らしい服やアクセサリとかもあって、つい夢中になってしまったんです」

 大通りから少し脇道に逸れると、小さな防具屋が目に入る。あの人ごみ激しい通りを歩いていてよくこんな小さな店を見つけられるものだ。女子の可愛いものを探知する能力は底が知れない。
 店の壁面はレンガで出来ており、壁に蔦が這っていて妙に洒落て見えた。パッと見た感じ洋風のカフェにも見える。何気なくショーウィンドウを眺めていると、クサビかたびらが売られている事に気付いた。しかもかなり安い。

「キト、そのボロボロのクサビかたびら、買いかえたら? たぶんこっちのほうが軽いし性能いいし、下着感覚で着れるから今年のモテカワイズムは完璧だよ」
「勇者様、表現が微妙に時代から置いていかれてますわ」
「そう?」

 ミロちゃんのツッコミは着実に僕の心を蝕んでいく。まさかたった五つ六つの歳の差でここまでジェネレーションギャップが生じているなんて。
 キトはクサビかたびらを興味深々な様子で見ていたが、やがて首を振った。

「どうした? 気に入らなかったか?」
「いえ、違うんです。ただ、今着ているかたびらは捨てたくないんです」

 キトは自分の着ているかたびらを大切そうに撫でた。

「僕が着ているこのかたびら、父が旅のお守りにとくれたものなんです」
「お父さんが?」
「はい。お前を危険から守ってくれるからって」

 彼は歯を噛みしめた。

「確かにこのかたびらは重いです。臭いし、かなりさびています。ジャラジャラ金属が擦れてうるさいし、カビも生えている。この間なんて木に引っかかって危うく魔物に殺されそうになりました」
「捨てよう、それ」
「はい」

 その後燃えないゴミ置き場にばらばらのかたびらが置かれていたそうな。

 ◯

 港町の酒屋は昼間から盛況だ。美味くて新鮮な魚の肉をアテに早朝の漁を終えた屈強な海の男たちが酒を飲む。
 入り口から見える店内は広く、四人掛けのテーブル席が幾つも並べられていた。美味そうな料理と酒がテーブルの上に置かれ、大きなカウンターでは店員を口説く客も見える。この情景だけ見ればまるで魔王なんて存在しないように思えた。

「イム姉さんの店とは雲泥の差だな」
「イム姉さん? 誰ですのそれは?」ミロちゃんがギロリと目を光らせる。
「僕の故郷にいる幼なじみの姉さんだよ。親の酒場を継いで店長をやってる」
「師匠はその人とは仲が良いんですか?」
「良いも悪いも、幼なじみだからね。切っても切れない関係だよ」
「勇者様に幼なじみがいたなんて……」

 ギリリと爪を噛むミロちゃんに僕とキトは苦笑した。

「ミロさん、師匠はモテるんだから、あまり焼きもち焼きすぎると持ちませんよ」
「や、やき? キト、何言ってるの。私が何で焼きもちなんて」

 ミロちゃんはあからさまに慌てふためく。キトは肩をすくめた。

「師匠、ミロさんまだこんな事言ってますよ」
「ミロちゃんの性格上、僕が好きだと公言することなんて出来ないんだよ。照れ屋だからね」
「なるほど」
「ちょ、ちょっと待ってください勇者様! 何で私が勇者様を好きって事になってるんですか!」
「昨日洞窟で会った時に『もっと勇者様と一緒にいたい』とか言ってたじゃないですか。ね、師匠」
「この子、都合悪いことはすぐ忘れるんだよ。そこらへんちょっとね」
「あ、あれはそう言う意味ではなくて……」

 ミロちゃんは顔を押さえる。

「それに忘れたの? 就職センターで自分は勇者の妻だって自己紹介しようとした事も」
「う、うう……」

 真っ赤な顔。タコみたい。

「まぁこの話は置いといて、とりあえず中に入ろう」

 結論が出ている事をやいのやいの言っても仕方がない。一つ言える事として、モテると言うのはそれほど悪い気はしませんなぁあっはっは。
 店の一番奥にあるテーブル席についた。ミロちゃんが辺りを見回す。君、心なしか頬が蒸気してませんか。

「すごいですわね。むせ返りそうなお酒の臭い、男の香り……」

 意味の分からない事を言い出したミロちゃんに僕とキトはうつむいた。

「太くてたくましい筋肉の男性がこんなにたくさん。太陽で焼けた皮膚が黒く光って……」
「師匠……」
「耐えろ」
「ねぇ勇者様、ああいう男性に抱かれる女性は、一体どう言う気持ちなのでしょうか。得られるのは抱擁感? 安心感? それとも……」
「この淫乱女子!」思わず叫んだ。ミロちゃんが慌てて口を開く。
「ああ、すいません勇者様。初めて目の当たりにする環境につい淫乱……いえ、発情してしまって」

 訂正しきれていないのがポイントである。

「なぁに叫んでるの? 勇者さん」

 僕らのテーブルに水を置いてくれたウェイトレスが悪戯っぽく笑う。

「久しぶりだな」
「師匠、お知り合いですか?」
「さっき言ってた幼なじみのイム姉さんいるだろ。あれの妹だよ。ナナミって言うの」
「人の姉をあれ扱いしないでくれるかな」

 ナナミは苦笑すると、僕たちにメニューを渡してくれる。

「久々に来たと思ったら、子供に彼女連れて。結婚したなら言いなさいよ」
「そのやり取りは以前やったからもう良いよ。とりあえずビールと刺身と卵かけご飯下さい」
「はいはい。彼女さんは何にされるんですか?」
「か、彼女?」
「ミロさん、今のはナナミさんが放った冗談ですよ。あ、僕はこのフレンチトーストでお願いします」
「キト、一々注釈を入れなくて良いのよ……。じゃあ私はチョコパフェとココアを」
「女子みたいだな」
「女子です!」
「ミロさんは淫乱女子ですもんね」
「いらん事言わないの!」
「フフッ、仲良しさんね。少々お待ちください」

 馬鹿なやり取りをする我々を尻目にナナミはカウンターへ戻って行った。キトは彼女の後姿を見て目を輝かせる。

「師匠、綺麗な人ですね」
「キト君、とりあえず年上のお姉さんだと賛辞を浴びせるのはやめようね」
「でも勇者様、幼なじみの方がどうしてここに? お姉さんが実家の酒屋を経営しているならお手伝いくらいすると思いますけど」
「あいつは修行中の身だから。こういう大きな店で働いて色々と揉まれてるってわけ」

 見ると酔った客がナナミに絡んでおり、言葉では言い表せないような様々な部位を触っていた。ナナミも慣れているのか、多少のおさわりは許しても深入りはさせていない。

「確かに、色々と揉まれていますわね」
「ミロちゃん、僕が悪かったよ」
「あんなにポンポンと触らせて。勇者様も触った事があるんでしょう?」
「据え膳喰わぬは男の恥ってね」
「師匠、なんですかそれは」
「目の前にあるおっぱいは触れって事だよ」

 適当な発言をしたところ、途端に険悪なムードが広がった。コップを持つミロちゃんの手が震えている。邪悪な殺気を感じた。

「冗談だよ。僕は仮にも勇者だ。女の子に手は出さないさ」
「昨晩私のお風呂を覗いた人が?」

 まずい。まるで言葉に説得力と言うのが伴わない。なんてこと。
 このままでは地獄を見そうだと思っていると、机の上にビールが置かれた。ナナミだ。華奢な手で、盆に乗った料理を次々と置いていく。ヒラヒラのレースが装飾された服を着てよくこれほど軽々と動けるものだ。事務員よりは戦闘力あるだろう。

「お待たせしました。ご注文は以上でよろしいでしょうか?」
「わぁ、おいしそう」

 ミロちゃんが目の前にでかでかと置かれたパフェを見て声を上げる。

「勇者の彼女候補さんだからね。特別サービスで多めにしといたよ」

 ボッ、と音を立てたように急にミロちゃんが赤くなる。よし、いいぞ。利は我にある。

「ナナミさん、師匠におっぱいを触られたと言うのは本当ですか?」

 僕はこの時本当の敵は別にいるのだと悟った。この思春期!
 しばしナナミはキョトンとした後、さもおかしそうに笑い出した。

「この天下無敵のチキンボーイが人の胸なんて触れないよ」
「だ、誰が鳥男じゃい!」
「あんただよ、あんた」

 ゴンゴン、と盆で僕の頭を叩く。

「こいつは昔から人一倍女関係は弱いから。軽い男に見えるのは見た目だけだよね」
「ニヒルでダンディズム溢れる、と言ってくれませんか」
「少年、この馬鹿みたいな人間にだけはなっちゃ駄目だよ」
「大丈夫です! もうなってます!」
「キト君……」何だか胸が切ない。

 馬鹿な話をしばらくした後、ここに来た目的を思い出した。ただお酒が飲みたかっただけではない。ナナミに聞かねばならない事がいくつかあったのだ。
 僕が真面目な顔をするとナナミは頷いた。

「分かってる。魔王の事でしょ? 前回から一ヶ月だっけ。復活までの間隔、どんどん短くなってるよね」
「それに関する噂、何か流れてる?」
「明確な情報じゃないけど、魔王を作り出してる何者かがいるんじゃないかって噂はあるよ」
「どういう事?」
「魔物を作り出すのは魔王でしょ? あんたが初めて魔王討伐に出かけたのが五年前。それまで当たり前の様に魔物は外をうろついてた。でもあんたが魔王を倒したらぱったり消えた。魔物もいない世界で、普通に考えて魔王を復活させる要素って見当たらないんだよね。そこで出てきたのが『神』の存在」
「神だって?」

 なんだか無駄に壮大な物語になろうとしている。そんなつもりじゃなかったのに。
 そもそもこんな核心に迫るような話を旅の二日目、しかもまだそれほど最初の街からはなれていないこんな場所で聞いてしまって良いのだろうか。
 普通、海の奥深くや空高い場所で隠れ住んでいる魔法使いとかから聞く情報じゃないのだろうか。こんな港町の酒屋にいるウェイトレスから聞くなんて。情報社会ってどうなの。よく分からないモヤモヤが僕の心を満たしていくのが分かった。

「魔王を生み出す更に上位の存在がいるんじゃないかって巷じゃ噂になってる」
「それが『神』か。下らないね。まだ今まで倒してきた魔王が影武者だったとか言ってるほうがマシなレベルだよ」
「まぁあくまで噂。ほら、人って無駄に壮大な話が好きだからさ。特にここは港町で人の出入りも激しいし、話に尾びれはどうしてもついちゃうのよ」

 ナナミは肩をすくめる。彼女も噂については半信半疑みたいだ。
 当たり前だろう。もし『神』とやらが実存するとして、その狙いは一体なんだと言うのだろうか。内容はあっても、実情は全く見えてこない。

「そんな与太話はいいから、魔王の居場所に関する情報はないの? 今回の魔王、まるで情報が入ってこないんだけど」
「それがこっちにも入ってきてないのよ。たぶん、この近辺の大陸にはいないんじゃない。誰も魔王を見てないから、もしかしたら今回は魔王なんていなくて、それこそ『神』とやらが出てきたんじゃないかって話が上がって……」
「それが噂の発端か」

 つまりそんな信憑性のない噂が上がるほど今のところ魔王の存在は誰にも認知されていないと言うわけ。海を越えた旅人達にも、だ。

「とにかく遠い大陸に行かないと分からないねこりゃ」
「そうだね」
「久々に空を使うかなぁ……」

 ふと見るとキトとミロちゃんが黙々と目の前の飲食物を胃の中に収めていた。どおりでさっきから静かだと思った。

「君達、普段無駄に喋るんだから、こう言う時こそ話に加わったらどうかね」
「え、何がですの?」

 口にクリームをつけたミロちゃんが首を傾げる。それで可愛くなったつもりか。せめておっぱいの片方くらい。いや違う。

「何がって、魔王の話だよ。この旅で今のところ一番と言えるほど大事な話をしていたんだよ」
「すいません勇者様……。食べるのに夢中で全く聞いていませんでした」
「ミロさんは恋愛話しか食指が動かないんですよね」
「あら、キトだって全然話に加わろうとしなかったくせに」
「だって僕の賢さ三ですから。難しい話は理解不能です」
「賢さ三だなんて。さっそく就職センターの効果が出てるわね」
「ミロさんはいくらなんですか? 賢さ」
「五」

 そこでナナミはあっはっはと笑って僕の肩を叩いた。

「今回死ぬかもしれないね」
「死なないよ。だって魔王の攻撃でもダメージ食らわないもん」

 僕とナナミは同時に溜息を吐いた。

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