最近、作品内の矛盾に気づいたり、どうしよもなく超えられない壁があったりして、それに躓いて転んで、立ち上がるのが面倒くさいと感じていました。
それから、タイピングの手が全く動かなくなり、別にやる意義も目的も必要も無かったので、全く別の逃避行動に走っていました。
特に自分は神経質なので、邪推やネガティブ思考などの煩悩が溢れるほどに出てしまって、色々と面倒くさいと思ったんだろうと思います。
ただ、つい今、なぜ自分は書き始めたのだろうということを思い返してみました。
結局、内的情動に身を任せていただけでした。
悪文とか、矛盾とか、定型とか、そんなことはどうだって良くて、唯自分が見た、文章的情景を嘔吐してスッキリすることだけが無意識的な目的でした。
今のうちは、多くの人に影響を与える社会的責任もないし、消費者の期待に答える経済的責任もない。
ならば、内的情動に身を任して、自由に書いて、自由に昇華させようと。
そして、悩んだり、考えたりするのは、情動が文章から最も近しくなるよう、手を動かしながらにしようと思えました。